愛に似た獣


Written by とらこ  


後編


 毒物を入れていたであろう容器が発見されない。
 直江は執拗にそのことにこだわった。
「色部さん。もう一度聞きますが、それは捜査が不徹底だからですか? それとも、そもそもそんなものを特定するのが不可能なんですか?」
「いや。範囲は限定されてるわけだから、捜査に遺漏はないはずだ」
「内藤さんの首にかかっているロケットの中は? 見せてもらいましたか?」
 白いセーターの上にかけているロケットは、確かに中が開くようになっている。里美は思わずそれをぎゅっと握りしめた。
「当たり前だ。でも、何もでなかった」
「では、女性の口紅のスティックの中は? アクセサリーはどうです?」
 色部が首を横に振るたびに、直江の表情が険しくなってゆく。
「腕時計は? それと、村上さんのライターは? 絨毯の端をめくって隠したということはありませんか?」
「勿論調べたさ」
「じゃあ、壁の絵の裏なんかもとっくにチェック済みですね……。文字通り、全員の鼻先にあったカラオケのマイクには不審な点はありませんでしたか?」
「毒薬は全員の鼻先にあった−−か。空想的だな」
 直江の推理にもいい加減飽きてきはじめた村上が、背伸びをしながら言った。だが、反対に三条麗は楽しそうだ。
「いいじゃない。考えられるだけの仮設を並べてみるっていうのは、ゲームとか大喜利みたいで楽しいわ」
「マイクに細工した形跡もないってことは、それで終わりですか?」
 諏訪の問いかけに、直江は首を振って言う。
「いいえ。誰か、皆さんの中に義眼の方はいませんか?」
 義眼の中に隠しているのではという突拍子もない推理だったが、勿論、そんな人間は誰一人としていなかった。
「まだ続けるんですか?」
「……いえ。退屈していらっしゃる方もいるようですから、このゲームは措くことにしましょう。室内のどこにもないとしたら、容器はもう室外に持ち出されているということになる」
「いえ。それはありません。直江先生」
 そう言ったのは禰々だった。
「本当に誰もこの部屋から出た人はいなかったんです。救急車を呼ぶ電話だって、ここからかけたんですから」
(……う〜ん。容器かぁ)
 高耶も思いついたことを口にしてみる。
「犯人が容器を処分したとしたら、考えられるケースは……。ひとつ。駆けつけた救急隊員の着衣か持ち物にこっそり忍ばせた。二つ。容器は溶けないカプセル状のもので、犯人は投毒後にそれを飲み込んだ……」
「まだあったら続けてください。高耶さん」
「……う、うん。……そうだな、あとは三条さんが窓を開けたとき、外で待機していた共犯者から受け取った。それだと容器はないよ」
「全部ダメです。どうしてそんなきわどいことをしてまで容器を隠したがるんです? その理由が−−」
 言いかけて、直江がはっと口元を押さえる。
「……直江?」
「待ってください……。これなら、できますね」
「えっ!?」
「毒を入れることのできた人間が、この中にひとりだけいます。勿論、容器を消すこともね……」
「だっ、誰なんだよ!? そのひとりって……!」
「……大した度胸ですね」
 高耶の問いには答えず、直江はさも感心したように独語する。
「高耶さん。貴方はさっき、『溶けない容器』と言いましたね? それで思いついたんですよ。『溶ける容器』だったらどうかとね」
(溶ける容器……!?)
「え……?」
 よくわからなくて、高耶は混乱してしまう。それは色部や他の者達も同じだったらしく、次の言葉を待って食い入るように直江を見つめている。
「直江。それは一体どういうものなんだ?」
「ちょっと常識ばなれしていて奇妙な手口ですが、武田氏のカップに毒を投じる方法がありました。これは容器の問題から推測を発展させていって導かれた方法です。犯行現場に残留しているべき毒薬の容器は一体どこに消えてしまったのか? ……そう。それは確かに消えたんです。容器はおそらく……」
 そこで焦らすように、直江は一度言葉を切る。
 息を詰めてみんなが見守る中で、直江が言い出したのは、とんでもない毒薬の容器だった。
「それは、たぶん氷だったんです」
 しん、と一瞬の沈黙が降り、すぐに皆が口々に反論を始める。
「馬鹿な! 氷なんて……!」
「そうですよ! こんなに暖房の効いた室内で、氷を容器になんてできるわけがありません!」
「……確かに、もっと温度の低い場所でなければならなかったでしょう。例えば屋外……窓の外です。窓を開ければすぐに手の届くところに置いておく。そして、いざ本番というときに素早く取り込めばよかったんですよ。……『空気を入れ換えましょう』とか言ってね」
 その言葉で、みんなの視線が三条麗に集中する。しかし、彼女が動じない。
「つまらない話ね。私が窓に近寄ったのは換気のために開けにいった一回きりよ? どうやって氷の容器に入った毒薬とやらを窓の外に隠せたのかしらね?」
「それは勿論、玄関から中に通される前だ。あなたはこの家に着いてまず、あの窓の外に廻って容器を桟に乗せて置いた。それともポインセチアの鉢の中か、陰か。いずれにしても窓は暖気で曇っていたから、室内からは見えなかったはずだ」
 まるでその光景を見ていたかのような直江の言葉に、皆が言葉もなく聞き入っている。
「毒薬の出番がいつになるかわからなかったから、氷が早く溶けないようにドライアイスなどで守っていたかも知れませんね」
「……いいわ。私が事前に窓の外に毒薬を用意していて、『空気を入れ換えましょう』とかとぼけたことを言いながらそれを回収したってことにしていいわよ。……でも、それをいつどうやってあの人の紅茶の中に入れたっていうの?」
 それはもっともな質問だった。しかし、直江は答える前に氷の容器について具体的なイメージをみんなに与えることにした。
「……その前に、『氷の容器に入った毒薬』というものをもっと明確に考えてください。アイス・キューブの中心に閉じこめられた、耳掻き一杯の青酸カリ……。それはこんな感じです。……冷凍庫でできたアイス・キューブを二つに割り、その中心部に毒薬を入れて貼り合わせ、また凍らせる。多少不器用な人間でも、簡単に作ることができるはずです」
「だから、それをいつあの人のカップに−−」
「勿論、禰々さんからトレイを受け取り、他のみんなのところに運ぶ途中です。その時、全員が武田氏に注目していたから、誰も気づかなかっただけです」
「バカね。禰々さんの証言があるわ。私は禰々さんからしっかり両手でトレイを受け取ってまっすぐここまで運んだのよ? 途中で一旦どこかに置いたり、手放したりしなかったんだから」
 禰々もそれを肯定するように頷く。
(そうだ。彼女は手を使えなかったんだ。……とすれば……)
「そう。そこが味噌なんでしょう? 『私は手が使えなかった。だから、私にできるわけがない』だけど、あなたにはできたんですよ。手なんか使わなくても。貴方はどっちの手にもアイス・キューブを持っていなかったんだから」
「それじゃあ−−」
「手は使わなかった。−−そう。あなたは口に含んでいたんだ。氷詰めとはいえ、致死量の青酸カリをね。まったく、並はずれた度胸ですよ」
 まかり間違えば自分が死んでいる。そんな危険な賭を、この女がやったというのか−−?
 高耶はとても信じられない面持ちで、食い入るように三条を見つめた。
「あなたは窓の外に隠しておいたそれを回収し、口に放り込んでからトレイを受け取った。忠実に再現してくれましたね。窓を開けてから運び終わるまで、あなたは一度も口を開かなかった。『私が運ぶ』という一言も、窓を開けながら済ませている。あなたは禰々さんに背を向け、みんなの注意が完全に武田氏に向いている一瞬に氷を吐き捨てたんだ。そして、上手く氷が落下したカップが武田氏の分になった。氷が溶ける時間が必要だったけれど、それは充分にありましたね。あなたが武田氏にカップをサーブしたのは一番最後だったし、彼は自分の歌に夢中ですぐにカップを手に取るなんてことはなかったから。そして、内藤さんが砂糖を入れてあげる頃にはすっかり溶解してしまっていた……」
「青酸カリの入った氷を口に入れるですって!? そんな危険なマネをする人間がいるもんですか! 耳掻き一杯分で人を殺せるような劇薬を、いくら氷に詰めてあるからって口に入れられるわけがないじゃないの」
 三条麗は激しく反論したが、直江はぴたりと見据えて言い放った。
「できますとも。問題なのは実行力と度胸。そして慎重な実験ですね」
「……そうか。一か八か賭けてみようとすればできるかも……」
 高耶の言葉に直江が頷く。
「武田氏に殺意を抱いてもおかしくない人間が集まった席上で、自分にはできなかったという一種のアリバイを作って憎い男を殺す。メリットはありますね。……そう。私なら、こんな実験をするでしょう。青酸カリの代わりに唐辛子でも氷の中に詰めて、どの程度の大きさなら何秒口に含んでいても大丈夫かを調べる。安全のために大きければいいというものでもないですしね。カップに落とした後は早く溶けてもらうために、どこまで小さくしても大丈夫かを繰り返し実験したはずだ」
 三条麗はぎゅっと拳を握りしめ、直江に向かって詰め寄った。
「言いがかりよ! 私がそんなことをしたっていう証拠がどこにあるの!? あったら見せなさいよ! ないんでしょう? −−この、インチキ!」
 怒りのままに殴りつけようとした細い手を、直江はなんなく受け止めた。
「−−証拠なら、ありますよ。あなたは警察の科学捜査を甘く見積もり過ぎている。武田氏の飲み残した紅茶はまだ保管されているんですよ? それを調べ直せば、あなたの唾液が検出可能だということです」
「−−−−!!」
「判明するのは血液型だけじゃない。DNA鑑定で誰の唾液なのかははっきりと特定できるんですよ。−−どうしてそんなことに気づかなかったんです?」
 色部はぽん、と手を打って言った。
「なるほどな。すぐに調べさせよう」
 それを聞いた三条麗は顔色を失い、深く俯いた。
(終わったな……)
「私は忘れませんよ。あなたが命を懸けた、最後のキスを−−」
 耳元に囁かれた言葉に、三条は目を見開いた。しかし、すぐに泣きそうな表情になって強がって顔を背ける。
「あんたなんかに、何がわかるっていうのよ……」


 それから三条麗は自白した。


 紅茶に含まれた微量の唾液から、犯人のDNA鑑定が可能なのかどうか、高耶には疑わしく思えてならない。
 −−きっとあれは直江が仕掛けた罠だったのだ。容赦のない口調で彼女を追いつめつつ、落とし穴に誘い込んだのだ……。
「後は色部さん達に証拠固めをしてもらうだけだな。……まあ、この期に及んで抵抗することもないんだろうけどな」
「……そうですね」
(……彼女は……)
「……彼女は……三条さんは、この計画が失敗して自分が命を落とすのも、それはそれでいいと思ってたのかな……?」


 破れてしまった恋に殉じて、どれほど狂おしく愛していたのかを訴えるために……。


 帰るために車に乗り込もうとしながら呟いた高耶を見つめて、直江は言った。
「……私も、胸を掻きむしられるような想いを知っていますよ」
「え? ……ほんとに?」
 それは、直江の過去の女のことなのだろうか?
 どきりとして表情を曇らせる高耶に、淡く微笑んでみせる。
「……高耶さん。貴方を想う気持ちに、私はいつだってそんな思いをしているんですよ。……だから、きっと私を捨てたら、貴方を殺してしまうかも知れないですよ。三条麗のように……」
「……ばか。帰るぞ」
 高耶は素っ気なく言って顔を背けたけれど、本当はとても嬉しかった。
 表情こそ隠していたけれど、首まで真っ赤になっている様子を見て、直江は小さく笑みを零す。
 

 奇しくも武田晴信があの歌詞に書いていたように、憎しみは愛に似ている……。
 互いに深ければ深いほど、人を揺り動かす力を持っている−−


「……直江」
「なんですか?」
「……オレも、お前が誰かに心変わりしたら、お前のこと殺したくなるのかな……?」
 助手席に座り、しばらく黙り込んでいた高耶が突然ぽつりと呟いた言葉に、しかし、直江はあっさりと否定した。
「それはありませんね」
「……なんで?」
「私が心変わりするなんて、この世界がひっくり返ったってあり得ないことだからですよ」
 いけしゃあしゃあと言ってのけて、素早く高耶の頬にキスをする。
「な……っ!?」
 突然のことに驚いた高耶は真っ赤になって固まってしまった。
「おっ、お前……っ。誰かに見られたら……っ」
「動いてる車の中なんて、見えませんよ」
「それでも……っ! それに、よそ見なんかして事故ったらどーすんだよ! こんな若いうちにお前と心中なんて嫌だからな!」
 わめく高耶の冷たい言葉に、直江は情けない顔になる。
「そんな……高耶さん……」
「当たり前だろっ」
(……だって)
 死んでも一緒にいたいとは思うけれど、今は二人で生きていくほうがずっといい……。
 でも、言えば直江が調子に乗ってくるのはわかりきっていたから、あえて口にはせず、ぷいっと窓の方を見る。
 小さく微笑んだその横顔を見て、直江はため息をつきながら苦笑するのだった……。




END



 ……う〜ん。読み返せば読み返すほど、直高っぽくない直高になってしまいました……。

 88888HITの円堂沙耶様リクエスト作品で、あちらのサイトにUPされていたものを再掲しました。


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