Birthday Party


Written by とらこ  



 高耶の誕生日まで、あと一週間。
 カレンダーの前に立った直江は日付を確認して、口元に笑みを浮かべる。
 当日の予定はもう既にばっちり決まっている。大学はもう夏休みに入っているし、バイトもその日と次の日は休みを貰えるようにして欲しいと高耶には念を押してある。
 行き先は那須塩原の別荘。言わずもがな、橘不動産の持ち物であるところを兄から借りたのだ。
 二人きりで大切な高耶の誕生日を祝いたい。
 その日のために高耶が以前に食べたいと言っていた店のバースデーケーキも予約したし、シャンパンも既に用意してある。そして、一番大切なプレゼントは、直江とお揃いのプラチナ指輪だ。内側には勿論、イニシャルとメッセージが刻んである。でも、指輪なんて恥ずかしがって填めてくれないかも知れない。そう思った直江は、同じくプラチナの細い鎖状のネックレスも買っておいた。それに指輪を通して首にかけておくなら人目にはつかないし、高耶もあまり恥ずかしがらないだろう。
 至れり尽くせりの準備に自分で満足して、ほくそ笑んでいるところへ電話のベルが直江を現実に引き戻す。
「はい。橘です」
『あ。直江。オレ』
 名前など聞かなくても、声でわかる。愛しい人からのふいの電話に直江は声に滲む嬉しさを隠せない。
「高耶さん。どうしたんですか?」
『……あのさぁ、この間言われてた二十三日の件なんだけど……』
 いつもの高耶らしくなく、歯切れの悪い口調が何故か不安を掻き立てる。
「二十三日のことが、どうかしたんですか? まさか、休みが取れなかったとか?」
 そんなことでせっかくの予定をパアにする気は毛頭ない。仮病でも何でも使って高耶をさらっていくつもりの直江は、我知らず語気の強い調子で聞き返した。
「高耶さん?」
『そんなことないよ。休みはちゃんと貰えたから……』
「なら、何です? 他に何か都合の悪いことでもあるんですか?」
『……お前がああして言ってきたってことは、もう何か予定たててるんだろ?』
 あえて聞くまでもないことだが、一応念のためといった感じで問う。
「勿論です!」
 はっきりきっぱり言い切る直江に、高耶は電話の向こうで小さくため息をついた。
『……やっぱり?』
「誰よりも大切な貴方の誕生日を、最高のもてなしで祝ってあげるのは当然のことです!」
 力一杯力説するほどに、高耶はごもごもと口ごもる。直江の勢いに押されて用件を言えないままに流されてしまいそうになるが、ようやく意を決したように言った。
『それってさ、キャンセルできるよな?』
 一瞬高耶の言葉が理解できず、頭の中が真っ白に染まる。
『直江?』
 高耶の訝しげな声ではっと我に返った直江は、ショックでぐらぐらする脳に浸透してきた言葉を問い返す。
「キャンセルって、高耶さん!? じゃあ貴方の誕生日という大事な日を私と一緒に過ごしたくないとと言うんですか!」
『そうじゃない! 変な誤解すんなよ!』
「じゃあ、なんだというんですか」
 声を荒げて反論してくる高耶に、思わずむっとして声色が冷える。そのことに気がついた高耶は自分が話し方を間違えたことに気がついた。
『……違うんだ。直江。……オレだって、ほんとは直江と一緒に過ごしたいよ。でも、千秋達が……』
 その名前を聞いて、高耶が言いにくそうにしていたことにやっと納得がいく。千秋達には今年の直江の誕生日も邪魔されていたので、高耶は言い出しにくかったのだ。綾子の発案でゴールデン・ウィークの真っ最中で人がごった返している大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ったのはまだ記憶に新しい。人混みにはほとほと辟易させられたが、高耶の嬉しそうな笑顔とそれをおさめたデジカメのデータをプレゼントにもらった上に、その夜もまた濃厚に高耶に祝ってもらい、直江としては満足できる誕生日だったといえよう。
 しかし、あの時も直江の誕生日の予定をキャンセルしてくれと電話をかけさせられた高耶としては、二度目のそういう電話にかなり負い目を感じているらしい。
 それで思わずらしくない歯切れの悪い口調になってしまったというわけだ。
 理由がわかってしまうと、ついさっき感情にまかせて冷たい声色をしてしまったのが悔やまれた。馬鹿げた邪推に高耶はさぞ驚き、あせったことだろう。
「……すみません。つい感情的になってしまって」
『いいよ。オレも言い方が悪かった。最初からちゃんと言ってれば、お前に誤解させることもなかったのに』
「貴方が謝ることはありません。……それで、千秋達が何を言ってきたんですか?」
『直江の誕生日ばっかり仲間内で祝ってやったら不公平だから、オレの誕生日もって……。でも、オレ直江がせっかく何か予定してくれてるのに悪いから、断ろうと思ったんだけど……色部さんが』
 意外な名前を耳にして、直江は目をしばたかせる。
「……色部さん、ですか?」
『うん。その時ちょうど千秋と色部と三人で飲んでた時でさ。断ろうと思って千秋に言おうとしたら色部さんが『それはいい。みんなで楽しく祝ってやるのも悪くないな』って言い出してさ……』
 思わぬ伏兵の存在に、直江は言葉もない。
 千秋一人なら断りきれただろうが、色部にそんなことを言われたら、高耶はもう何も言えなかったのだろう。その場の高耶の困ったような顔が目に浮かんで、直江はくすりと小さく笑いを零した。
「……それは、しかたないですね。色部さんにかかっては」
『ごめん。直江』
「いいんですよ。それで、どこでやるんですか?」
『えっと、ほら。千秋とねーさんと一緒にこないだ行ったカラオケボックスだって。新宿の』
 それを聞いて、思わずがっくりと肩を落としてしまう。
(……カラオケ。高耶さんの誕生日という尊い日に……。よりにもよってカラオケとは)
 ブームも下火になって久しいというのに、千秋と綾子はまだまだ歌い足りないらしい。
「……わかりました」
『ほんとにゴメン! 直江!』
「貴方が悪い訳じゃないんですから、気にしないで。……それより、高耶さん」
『なに?』
「二十三日の前に、都合つきませんか? 貴方に渡したいものがあるので、二人だけで逢いたいんですが」
 二度にわたって直江が大事にしている予定が駄目になった以上、高耶が断れるはずがなかった。
『うん、いいよ。わかったら明日にでも連絡する』
 高耶の色好い返事で機嫌を直して、直江は受話器を置いた。が、その表情は苦虫を噛み潰したように歪んでいて、せっかくのいい男が台無しになっている。
「……色部さん。恨みますよ」
 今頃は都内の自宅にいるであろう人物に向かって、直江はぼそりと呟いた。


*  *


 高耶の誕生日当日。
 カラオケボックスでは既に宴が始まって一時間が経過した。
 最初に歌い出した綾子を筆頭に、千秋と二人でマイクをまわして二人で歌いまくっている。高耶は恥ずかしがって歌おうとしないし、直江は聞くまでもない。色部はというと、「後でな」と言って今はゆっくりとビールを口に運んでいる。
「お〜し! 次は西川君行くぞ〜〜〜!」
 マイクを握りしめた千秋が歌おうとしている軽快な曲調は、高耶も街や店で何度も耳にしたことのあるものだった。少し高くなっているステージめいたところで振り付けまでこなしながら歌っているのがすごい。
「いいぞ〜! 長秀〜!」
 ビールを豪快に飲みながら騒ぐ綾子を呆れたように見てから、直江は高耶と顔を見合わせた。
「……まったく。今日の主役は誰だと思っているんですかね」
「いいよ。別に。ねーさん達が楽しんでればそれでいいじゃんか」
 少し苦笑する高耶に向かって、ふわりと微笑む。
「ほんとうに残念ですよ。今日は貴方を那須の別荘に連れていこうと思っていたのに」
「え………?」
「その時に、これを食べてもらおうと思って注文しておいたんですがね」
 そう言って直江がテーブルに置いたのは、大きな白いケースだった。何を持ってきたんだろうと思ってはいたが、まさか食べ物とは思わなかった。
「何? これ……?」
「この間から食べたがっていたでしょう? あの店のバースデーケーキです」
 直江が蓋を開けると、ひんやりとした空気が箱の中から流れ出してくる。そっと覗き込むと、まさしく高耶が食べてみたかった、コーヒー風味のスポンジにチョコとココアがかかったケーキだった。ちゃんと綺麗にデコレーションしてあって、ホワイトチョコでメッセージと名前まで書いてあるのが気恥ずかしい。
「うわ……」
 嬉しいけれど、恥ずかしくて何も言えずにいる高耶の横で、色部が盛大にビールにむせた。
「げほ………っ」
 咳き込んで胸をさするフリをしながら、なにげなく逸らした顔はすっかりあてられて真っ赤になっている。それに気がついた綾子が「なになに?」と身を乗り出してきた。
「あーーっっ!」
「なっ、なに? ねーさん?」
「これって、直江ん家の近所にあるケーキ屋さんのでしょ!? 美味しいけど高いのよ〜! しかもこんな大きなのワンホールだなんて! あたしも食べたい〜〜!」
 既に酔いかけている綾子がじたばたと暴れ出しそうになるのを肩を押さえて宥めながら、直江にケーキを切り分けるように目配せする。
「今切ってるから、落ち着いて。ねーさん」
「うん」
「俺の分も忘れるなよ〜」
 曲の間奏に千秋の声も割り込んでくる。
「わかってるって、もう」
 ふぅ、と小さくため息をつく高耶に、直江は切ったケーキを乗せた皿を差し出した。
「高耶さん、これを」
「ああ。ありがとう、直江。−−ねーさん、はい」
 直江としては一番に高耶に食べて欲しかったが、さらりと綾子に横流しされてしまった。
「ん、ありがと。景虎」
 嬉しそうに受け取ってさっそくフォークで口に運びながら、今度こそ高耶に食べてもらう分の、少し大きめに切り分けたケーキを手渡す直江と高耶を交互に見つめる。
「いいわね〜。あたしも早く慎太郎さんに誕生日お祝いしてもらいたいな〜」
「………ねーさん」
 少し寂しそうな綾子の声色に、高耶はいたわるように綾子を見た。
「慎太郎さんの代わりなんてできないけど、ねーさんの誕生日も一緒に祝ってやるからさ。元気出せよ」
「ほんとに〜? 嬉しい! 景虎ぁ〜」
「う、わっ! ねーさん、危ないっ!」
 ケーキの皿を持ったまま抱きついてくる綾子。高耶は慌てて皿を奪い取り、テーブルに置いた。
「晴家。高耶さんから離れろ」
 ひときわ冷え切った直江の声にも、酔いがまわって怖いもの知らずの綾子は怯まない。
「やぁよ。いっつもあんたが景虎独占してるんだから。たまにはいいでしょっ」
 わざとらしく身体を寄せてくる綾子に高耶は焦ったが、邪険に振り払うこともできずに固まってしまう。そんな高耶の肩をつかんで、直江は引き剥がしにかかる。
「こっちにいらっしゃい。高耶さん」
「やだ。ここにいてよ。景虎ぁ」
「や、やめろって、二人とも」
 間にいて揺さぶられながら高耶はなんとか二人を宥めようとするが、一向に聞き入れられる様子はない。どうすることもできずに、高耶は目線で色部に助けを求めた。色部は面白がってその様子を眺めていたが、さすがに助けを求めてくる高耶が気の毒になって口を開いた。
「お前達。もういいかげんにしないか。景虎殿が困っているぞ」
「でもぉ〜」
「晴家。今日も主役は景虎殿だ。彼に無理を言ってはいかんな。………それと直江。みんな一緒にいるときぐらいは景虎殿を独占したがるのはやめておけ。我々とて、彼を祝いたいという気持ちは同じなのだからな」
 落ち着いた声で、これまたもっともなことを言われてしまい、二人は大人しく高耶を解放した。
「………助かったよ。ありがとう、色部さん」
「いやいや。さぁ、もうあの二人が喧嘩をしないように、間を取ってこっちに座りなさい」
 勧められるままに色部の隣に座って、ようやく落ち着いてケーキを食べ始めた高耶に、色部は一枚の封筒を差し出した。
「?」
「景虎殿が何をもらって喜ぶかなど、直江ではないからよくわからなくてな。この間長秀と三人で飲んだときに見たいと言っていた映画があったろう? そのチケットだ。あとで直江とでも見に行ってきなさい」 
「ほんとに? ありがとう。色部さん」
 嬉しそうな高耶の顔を見て、色部も優しい父親のような顔で頷く。すると、綾子も慌てて持ってきたプレゼントを取り出してきた。
「あたしもあたしもっ! 景虎にこれ、似合うと思って!」
 高耶も名前ぐらいは聞いたことのあるブランド名の入った袋に入っていたのは、薄いグレーの夏用のスーツ一式だった。いかにも高そうな服に焦って綾子を見る。
「ねーさんっ。こんな高そうなの貰えないって」
「いいのいいの。バーゲンで安くなってたし、長秀とワリカンしたから」
「そーいうこった。ありがたくもらっとけや。景虎」
 いつのまにか歌い終わった千秋がどっかとソファに腰かける。
「え!? 長秀終わったの!?」
「ああ、ホレ。次お前だぞ。晴家」
「いやぁ〜。林檎ちゃん歌う〜」
 既に次の曲のイントロが流れ始めている。綾子は慌てて前に行き、マイクを握って歌い始めた。
「………千秋」
「別にいーってことよ。その代わり、来年の千秋修平様の誕生日にはヴェルサーチのスーツでいいからな。旦那」
「………どうしてこっちに向かってに言うんだ、長秀?」
「そりゃあ。景虎の財布だもんな。おめ〜はよ」
「千秋っ!」
 いきり立つ高耶を片手を突き出して押し止め、にやつきながら直江に向き直る。
「………ところで、旦那はどうしたんだ? こういうイベントは絶対外さねぇアニバーサリー男のくせに」
 瞬間、怒っていたはずの高耶の表情が一変する。首筋からさぁっと血が昇って、あっというまに真っ赤になって俯いてしまったのだ。
「……ふふ〜ん。先にもう渡してあるってわけか。プレゼントは指輪か」
「なっ、なんでわかったんだ……?」
 高耶の指にはそれらしい物は填められていない。赤くなりながらも首を傾げると、呆れたように千秋は言った。
「阿呆。旦那が指に填めて大事そうに撫でまわしてるもの見りゃあ、嫌でもわからぁ」
「!!!」
 そう言われて初めて、高耶は直江の左の薬指に填っている指輪に気がついた。この間貰ったものとお揃いの指輪を、にやけて大事そうに撫でる男をぎりりと睨みつける。
「直江! おま……っ。なんでこんなとこにそれ填めてくるんだよ!」
 見つかったら千秋達にからかわれるのは目に見えているというのに!
「私が高耶さんのものであるという証明なんですから、いつでもどこでも填めているのが当然です」
 しれっと言ってのける男に、握り拳を震わせる。
「このぉ……っ。恥知らず!」
「私はそうは思いません」
「〜〜〜〜ッッ!」
 直江の言葉が嬉しくないと言えば嘘になる。でもどうしても恥ずかしさが先に立ってしまい、素直に気持ちを言い表すことができない。高耶は胸元に隠している鎖にかけた指輪をぎゅっと握りしめてぷいっとそっぽを向いた。
「……勝手にしろっ」
 まだ顔を真っ赤にしたままで、それでも直江がくれたケーキを乱暴な仕草で口に運ぶ。そんな高耶を見つめながら、直江は小さくため息をついた。
「……難儀な奥方だなぁ? 直江?」
 茶化すように小声で言う長秀の言葉に答えるように、直江の口元に刻まれた笑みには揺るぎない自信が溢れている。
「……まぁ、せいぜい逃げられねーよにするこったな」
 あまりに馬鹿らしくてからかう気も起きず、呆れたように千秋がそう言うと、色部は苦笑した。
「……まあ、何にせよ、景虎殿を大事にしてやるのだな」
「わかっています。色部さん」
 もう二度と、彼を悲しませたりしない。手放したりしない。
 これから何度でも、彼の誕生日を祝って過ごしていけるように……。

 そんな直江の思惑などとうに見越している長秀は次のイベントをどうやって邪魔するかを密かに考えているのだった……。  




END
  


 いたち茶屋さんにUPしていただいていた作品の再UPです。
 このお話の番外編、直江と高耶さん二人だけの甘々は裏にあります。