Written by とらこ 世界には伝説があった。 −−ひとりの英雄と、ひとりの邪悪な魔法使いの伝説……。 その強大な魔力と暴悪な亜人類の軍勢をもって、世界のほとんどを手中に収めた爆炎の魔法使い・直江。 二十年前、それをからくも打ち破ったのは、竜戦士の力を手に入れた越後国の王子・景勝であった……。 その戦いの後、景勝は行方がわからなくなり、死に瀕した直江は最後の力で転生の秘術を己自身に施し、幼い子供へと転生した。 −−しかし、その転生体を見つけだした越後国の大神官・謙信によって、直江は幼子の中に魂を封じ込められてしまった……。 −−そして、時が流れる……。 頂点に立つ直江を失い、邪悪な軍は一時的にその力を弱めた。しかし、生き残った直江の四人の幹部が、残党を組織して再び世界の覇権を狙っていた。 越後国も再び戦渦に見舞われ、今は四天王のひとり・小太郎の配下である遠山の一隊に襲われていた……。 * *
「……はぁ。どうしたものか……」 ここは越後国の城の広間。 遠山に対して国を明け渡すか、それとも徹底的に抗戦するのかを決める大切な会議がそこでは行われていた。 王を始め、大臣達や神官らの口から零れるのは失望のため息ばかり。そんな彼等を呆れたように見る大神官の謙信の隣には、その厳かな場所には不似合いな二人の少年がいた。 ひとりは年の頃十六・七。黒髪と瞳を持つ美しい顔立ちの少年。彼の名を高耶といい、大神官謙信の養子である。もうひとりは見た目は十歳ぐらいの幼さだが、実年齢は高耶と同じである奇妙な少年。黒髪と瞳を持つ、その名を義明という。 高耶は自分たちが何故こんな場違いなところへ呼ばれたのか皆目検討がつかず、困惑しながら周囲を見回している。何故だが、王や大臣達がチラチラとこちらを時折見る視線が気になってしかたがない。 一方義明はというと、高耶の隣でおとなしく座っている。外見と同じく精神的にも幼い彼は、自分がこの場所に呼ばれた意味すら考えることもないのだろう。ただ、時折高耶の方を見ては無邪気な微笑みをみせる。 (……養父上は、どうしてオレ達をこんなところに連れてきたんだ?) なんだか、とても嫌な予感がする。 そっと耳打ちして尋ねようとしたその時、王の重いため息に場のざわめきが静まった。 「……もはや、この国を守るためにはあの方法しかあるまい」 「王! それは……っ」 大臣の一人が異を唱える。 「あれを解放するのは多大な危険を伴います!」 「……それでは、このまま反乱軍にこの国が踏みにじられてもよいと申すのか?」 厳しい表情でそう言われれば、返す言葉もない。 確かに、連中の強大な魔力と軍事力に対抗する術は、他には見つからないのだ。 「……いたしかたあるまい。−−謙信。儀式を頼む」 「……わかりました」 王の決定に不承不承頷いて、大神官は傍らにいる高耶と義明を見た。 「……養父上……?」 越後国の重大な決定に何故自分たちが関わるのか、王の言う儀式とはなんなのか。 高耶はますます混乱して、すがるように養父を見上げた。 「高耶。これから大切な儀式を行う。身を清め……っっ!」 言いかけたその時、何かが崩れるような轟音と激しい振動が辺りを揺るがした。 「遠山か!」 どうやら、敵の軍勢がすぐそこまで押し寄せてきてしまったらしい。 王は蒼白になった顔で謙信に改めて命令した。 「一刻の猶予もならぬ。謙信よ。今すぐにも復活の儀式を」 「……復活の、儀式……?」 高耶が問い返すと、謙信は深く頷いた。 「お前も話には聞いているだろう。二十年前、伝説の魔人直江を赤子の体内に封印したことは」 「はい……」 まさかという思いが胸中をよぎり、思わず隣にいる義明を見る。 「そう。伝説の魔人直江はこの義明の中に封じられているのじゃ!」 「……っ! そ、んな……ッ」 こんな無害な子供の中に凶悪な魔人が封じられているなど、到底信じられない。 「……まさか、復活の儀式って……。直江を復活させるんですか!? 養父上!」 「……そうじゃ。あやつの力以外には、この越後国の危機を救えるものはないのじゃ」 老いた王は謙信の代わりにそう力説したが、高耶にはどうも納得できない。 (せっかく封印したのに、自分たちの都合で解放するなんて……。それに、伝説になるほど邪悪な魔法使いなら、この国のために力を使うなんてしないんじゃねーの? 第一、手に負えなくなったらど〜すんだよ……) 言いたいことは腐るほどあったが、仮にも王に対して反論することもできない。 そんなことを考えているうちに、いつのまにか広間の中央に描かれた魔法陣の中に二人は入れられてしまった。 「高耶。毘沙門天の解封呪を唱えるのだ。……そして、汚れなき者の接吻によって封印は解かれる」 「おおお〜〜〜」 大臣達が一斉にどよめく。 謙信の言葉を一瞬理解できなかった高耶は呆然としていたが、その意味が脳に浸透するやいなや、血相を変えて猛然と抗議した。 「な……ッ! せせせ、せっぷんって! 何言いだしやがる!」 「いたしかたあるまい。それしか封印を解く方法がないのだから」 「うさんくせぇぞ! それ! だだだ、誰が男にキスなんぞするかっ!」 取り乱して叫ぶ高耶に、謙信は厳しい顔つきで言った。 「ワガママを申すな。この国が連中に踏みにじられても構わないというのか?」 「う……っ」 それを言われるとそれ以上の反論もできない。そこへたたみかけるように謙信は言葉を続けた。 「たかが接吻のひとつを拒んで国を滅ぼした大罪人……。後世の人々はこぞってそう書き立てるであろうな」 「養父上……っ」 高耶の悲鳴じみた声は空しく沈黙に吸い込まれてしまう。その間にも建物をなぎ倒す激しい物音と亜人類の忌々しい軍隊の怒声がだんだんと近づいてくる。 たったひとつの命と一時の恥辱。どちらかを選べと言われたら、答えはおのずと決まっている……。 ごくり、と大きく息を飲んでから、高耶は魔法陣の中央に膝をついた。 「義明。こっちにおいで」 「はあ〜い」 無邪気な返事をして愛らしい笑みを浮かべながら、何も知らない義明はパタパタと駆け寄ってくる。 「ここに座って……。目つぶって」 「???」 義明は少し不思議そうな顔をしながらも、高耶の言葉に素直に従った。 ひとつ深呼吸をしてから意識を集中すると、二人を取り巻くように白い光が浮かび上がった。 「……高き天に住まう神よ。……この者に施されたる呪を解放せよ……!」 恥ずかしさのあまりぎゅっと固く目を伏せて、義明の唇に己のそれを重ねた。 瞬間、白い光が周囲に溢れて、義明の体が変化し始める。 ぐん、と体が大きくなり、髪の色が鳶色に変化してゆく。 「……っ!」 苦しそうに呻いた声色が、まるで知らない男の低いものに変わっている。 高耶は心底驚いてとっさに離れようとしたが、それよりも早く義明だった男の手が腕を捕らえた。 「ひ……っ!」 短い時間で白い光はおさまり、見上げた先に立っていたのはまるで戦士のように鍛え抜かれた体躯を魔道士の黒い衣服に包んだ長身の男。鳶色の髪と瞳。すらりとした目鼻立ちは綺麗に整い、女達が放っておかない美貌を持っている。しかし、その身に纏う魔力は闇の力に満ちていて、高耶は全身を総毛立たせた。 (……これが、伝説の魔人直江……) 腕を振り払うことさえ忘れて呆然と見上げている高耶の前で、直江はわざとらしく片手で顔を覆った。 「なんということだ……。いかに不可抗力とはいえ、この私が男に唇を許してしまうとは……!」 「……は?」 「それもこれも、あんな子供の中に私を封印などしてくれた大神官謙信……。お前のせいです」 復活早々不穏な雲行きになり、王や大臣達は不安そうに眉を潜める。 「そ、そんなことを言っておる場合ではないぞ、直江!」 「?」 「今この城は反乱軍のひとり、小太郎の配下である遠山に襲われておる。−−さあ! その類い希なる力を以て遠山を倒すのじゃ!」 「−−嫌です」 すっぱりと即答されて、一瞬場が静まりかえる。 「……い、今なんと……?」 「嫌だと言ったんですよ。……これだから耳の遠い年寄りは……。どうして私が自分を封印した連中に力を貸さなければならないんですか? 全く馬鹿げている」 (……やっぱり……) あまりにも予想通りな展開に、目の前が真っ暗になる。 「私がこの世に復活したからには、することはただひとつ! この世界のすべてをこの手に! 手始めは……そうですね。大神官謙信。貴方の首でももらいましょうか」 「な……っ!」 王も大臣達も、新たに生まれてしまった恐怖に凍りついてもはや動けない。謙信だけは動じることなく直江を正面から見据えていたが、ふいに小気味のいい乾いた音が割って入った。 「……っ!」 「養父上を殺すなんて! そんなことさせねーぞ! このバカ!」 直江の腕を強引に振り解いた高耶が、その頬を平手で思い切り張り飛ばしたのだ。 「……高耶さん」 憤然としている高耶を、直江は呆然と見つめる。 その鳶色の瞳の中では、短い一瞬の間にめまぐるしい感情が入り乱れた。 義明として生活していた時のことも、意識が表に出ていなくても覚えている。弱々しい義明をいつも庇い、優しく接してくれた高耶。 そんな高耶に義明は幼いながらも愛情と呼べる感情を抱いていた。 ……そして、彼とひとつの存在である直江もまた同じ……。 「……さっきの口づけは……もしかして……」 その言葉に高耶の顔色がさっと変わると、直江はそれを肯定の意志として受け取り、にやりと笑み崩れた。 「……そうだったんですか。貴方なら、いくらでも大歓迎ですよ。……私の大切な、美しい人」 「……はあ?」 呆然となる高耶をよそに、直江は新たに思いついた未来のプランをぶつぶつと呟く。 「そう。それも私の大きな目的のひとつ。……高耶さん、貴方を手に入れること……。ふむ。そうなると、やはり大神官は邪魔ですね」 「は……っ! そんなことさせねーって言ってんだろうがよ! それにっ。オレだって絶対にお前のものになんかならねーかんな!!」 そう叫び散らしてきつい眼差しで睨みつける高耶を、直江は痛そうな表情で見つめた。 悪い魔法使いのくせに、そんな顔をされると何だかこちらの方が悪いことをしているように思えてきてしまうではないか。 「な……っ、なんだよっ。んな顔したってダメだかんな!」 強がっていきり立つ高耶の肩を軽く叩き、宥めたのは養父の謙信だった。 「高耶よ。今はそんな程度の低い言い争いをしている場合ではない。遠山がすぐそこまで迫っておるのだぞ」 「でも……っ! 養父上!」 「大事の前の小事と言うであろう。この際、些細なことには目をつぶらなくてはならない」 養父のその言葉に、ざわりと嫌な予感が背中を駆け上がる。 「直江よ。私の首はくれてやることはできんが、見事遠山を退け、この国を守ってくれるのなら、庭付き新居に高耶をつけてくれてやろう。−−どうだ?」 「乗った!」 即答した直江の笑みを見つめながら、しばし固まってしまう高耶。数秒後、脳髄に浸透してきた養父の言葉を理解すると、真っ青になってわめいた。 「ななな、なんでオレが……っ! 養父上!」 「これも国のためだ。堪えてくれ、高耶」 「ふふふ……。楽しい家庭を築きましょうね、高耶さん」 「ななな、なにが楽しい家庭だ! てめーの野望は世界征服だろうが! そんなちっちぇーことで満足してんじゃねーよ! 何が庭付きの新居だぁ!」 すりよってくる直江を邪険に蹴りつけながら必死の抵抗を試みるが、男は一向に怯まない。 「勿論。私の最終目的は世界征服ですが、貴方と築く家庭がその第一歩なんですよ。そこから勢力範囲を広げ、いつか世界のすべてが私たちの愛の巣になるんです……(うっとり)」 「ば……っかやろ! 何が愛の巣だぁ!!」 高耶と直江の言い争いはまるで緊張感に欠けるもので、恐怖に凍りついていた王や大臣達は呆気にとられてしまった。しかし、そのおかげで思考回路も正常に働くようになり、更に直江を懐柔するべく、王は口を開いた。 「そうじゃ。この儂がその庭付き新居を提供しようではないか」 「ふむ。悪くない待遇ですね。あなたがたの心がけを認めて、私が世界を征服した暁には小間使いぐらいにはしてあげましょう」 「…………」 あえて答えない王には構わず、直江は高耶を抱き締めてすっかり自分のドリームに浸っている。が、そこへ轟音とともに壁を打ち壊し、遠山が乱入してきたではないか。 黒いみすぼらしいローブに身を包み、見た者を不快にさせる薄笑いを浮かべた遠山は広間に集まっていた全員をヒドラの背中の上から睥睨した。 「ふん。ちょうどいい。ここにいる全員をぶち殺せばこの国は私の物となる。さあ! 覚悟しろ!」 遠山が鞭を振るうとヒドラがぐるりと首を巡らす。その口元から零れる炎の吐息に王や大臣達の顔色が蒼白になる。 「ななな、直江っ! 約束じゃ! 遠山を退治せぬか!」 裏返った声色の王の叫びに、遠山が眉を潜める。 「……なおえ、だと?」 その名を知らない魔法使いはいないと言っても過言ではない。 視線を巡らせた遠山は紛れもないその姿を発見して、双眸を大きく見開いた。 「……本物か?」 「無礼な男だな。反乱軍の配下といえば、私の使いっ走りも同然。口の利き方に気をつけなさい」 「ふん。二十年も前に封印された奴が今頃のこのこ出てきてでかい顔をされたくないな」 「……なんですって?」 ぴくり、と直江の形のいい眉が吊り上がる。 直江の腕の中で必死に抵抗していた高耶は、呼応して膨れあがる闇の魔力に怯えて硬直してしまう。 「骨董品に用はないということだ。お前など、この遠山が討ち取ってくれるわ! さぞ私の名も上がろう。……それに」 ちろり、と遠山の視線が高耶を見る。そのいやらしさに直江の魔力とは別の意味で肌が粟立った。 「その者、気に入った。お前を殺した後でもらっていくとしよう」 「な……ッ!」 我ながらどうしてこう厄介な相手に気に入られてしまうのか。自分の不幸を呪いたくなってしまう。直江が勝っても遠山が勝っても、これでは何の変わりもないではないか。さっきの王や大臣達の言動から察するに、万が一にでも直江が負けてしまったら、今度は高耶をエサにして遠山に命乞いをするのは目に見えている。 (あんな奴に比べたら、直江の方がまだ……) そう思った瞬間、自分の考えたことを高耶は慌てて打ち消した。 (うわ〜〜〜! オレはなんてことをっ!) 少なくとも直江を嫌っていないかのような自分自身の心に動揺を隠せない。恐る恐る直江を見上げると、彼は殺気さえ漲る怒りを露わにした表情で遠山を睨みつけていた。 「……適当に追い返してやろうかと思っていましたが、やはり死んでもらうことにしましょう。……高耶さんには、指一本触れさせません」 そう言って直江は右手を無造作に突き出した。 「……地獄の炎を司るゲヘナの王。我との契約に基づき、その力を示せ……」 呪文の詠唱が始まるとともに、直江の手のひらから黒い炎が生まれる。邪悪な力に満ちた、地獄の炎だ。 「そ、その呪文は……っ!?」 それを見て、遠山の顔色がさっと変わった。対抗しようとしてとっさに右手を突き出し、詠唱を始めるが、間に合うはずもない。 「……もう遅い。己の口が呼んだ災いを地獄で悔やむがいい!」 鋭い言葉とともに黒い地獄の炎が遠山に向かって襲いかかる。ぶわりと大きく広がって騎乗したヒドラごと遠山を包み込んだ炎は、一気に収縮して内包したすべてを灼き尽くす。 「ぎゃあああああ!」 肉体は一瞬にして滅び去り、断末魔の絶叫だけが城中に響き渡った。 炎がまるで幻影のように空気にかき消えると、そこにはヒドラが破壊した瓦礫だけが残されていた。その表面が溶けて焦げていることだけが、呪文の名残を残している。 一瞬の出来事に皆言葉を失い、呆然と立ち竦んでいる。謙信でさえ、直江の魔力の凄まじさに息を飲んだ。 「あ……」 怯えて声もない高耶がようやく我に返ったのは、直江の手が不埒な動きを始めたからだった。指先が与える僅かな快感に反応して声を漏らし、意識が現実に立ち戻る。 「さあ、邪魔者はもういない。契約も果たしたことですし、二人でゆっくりと甘い時間を楽しみましょうね……」 「や……っ。ちょっと待てっ! 養父上っ!」 必死に助けを求めるが、謙信は神妙な顔つきで言った。 「ふむ。確かに。……しかし、新居を与えるとはいったが、まだその準備はできておらんのでな。その間は儂の館を使うがよい」 「な……っ!」 直江は頷いた。 「しかたありませんね。−−さあ、高耶さん。行きましょう」 「嫌だぁぁ! 養父上ぇぇ!」 ずるずると引きずられるように高耶は連れ去られ、悲痛な叫びだけが城内に響き渡った……。 * *
一年後。都の中央に王の城にも負けない豪華な庭付きの屋敷が完成し、直江は高耶とともにそこに住むことになった。 直江の言葉に寄れば、そこが世界征服の拠点になるはず……だったのだが、二年経っても三年経っても、世界征服が為される気配は一向になかった。 それというのも、高耶との甘い生活に溺れきった直江が片時も彼を離そうとせず、世界を征服する暇がなくなったからだという……。 反乱軍はそれからも幾度も越後国を襲ったが、その度にとんでもない返り討ちに遭い、いつのまにか越後国には手出ししないという不文律ができあがった。 −−そうして、今日も越後国の民や王族は平和に暮らしている……。 「何が平和だ〜〜〜! 離せ〜〜〜ッ!」 「ああ、高耶さん。いつまでも初々しい貴方がたまらない……」 −−そうして、高耶さんは今日も不幸だった……。 END 10000HITの穂積さんのリク作品をお届けいたしました。剣と魔法のファンタジーというか、不幸な高耶さんの顛末のような気が……がふっ(殴) あうあう。これでOKでしょうか〜? |