IMITATION CRIME 2

 
Written by とらこ

[前編]


「こんばんわ、高耶さん」
 女ならば陶然とせずにはいられない極上の笑みを湛えて、今夜も男はその店に姿を見せた。
「まぁた来たのかよ、直江。お前も懲りねぇな」
 愛しい高耶ではなく、この店のオーナー兼マスターの千秋にいきなりそう言って出迎えられて、直江と呼ばれた長身の男はあからさまに眉を顰めた。
「何とでも言え。そんなことより、高耶さんはどうしたんだ?」
「あ? あいつなら今日は少し遅くなるって言ってたぜ」
 ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべて言葉を続ける。
「どっかの女とデートだったりしてな」
「……千秋」
 笑えない冗談に声色を低くして、本気で睨みつける。千秋は慌てて首を横に振って見せた。
「馬鹿。冗談に決まってんだろ。お前じゃあるまいし」
「……どういう意味だ。今の私は高耶さん一筋なのに」
「へっ。どーだかね。またこのあいだみたいなことにならないって保証はどこにもないもんな。お前の場合」
 図星なだけに、一言も言い返せないのがとてもくやしい。
 まさか自分でも、こんなに高耶にのめり込むとは思ってもみなかった。しかし、本気になってしまった以上は、この先は高耶だけを全身全霊を込めて愛していこう。そう決めた矢先のトラブル。おかげで危うく大事な高耶を失いかけたが、かろうじて繋ぎ止めることに成功して今に至る。
 しかし、高耶の心に不信は根強く残り、未だに直江には笑顔を見せてくれない。
「いーかげん諦めて、その辺の女でも相手にしてれば?」
「いいや。私は絶対に諦めたりしない。あの日、確かに頷いてくれた高耶さんの気持ちを信じている。……きっと、あの人の笑顔を取り戻してみせる……!」
 拳を握りしめて言う直江を呆れたように見つめながら、千秋は深々とため息をついた。
「へいへい。せーぜーがんばるんだな……っと。お待ちかねの高耶さんが来たみたいだぜ」
 店の奥から聞こえてきた物音を聞きつけて、千秋が言った。その言葉通り、少しすると奥に続くドアからバーテンの制服に身を包んだ高耶が姿を現した。
「ごめん。遅くなって……」
 千秋にそう言ってからふとカウンターの方に目を向けると、微笑を湛えた直江の顔が映る。その瞬間、高耶の表情がびくりと強張る。あのトラブルから二週間。直江を見るたびにそうなるのだ。話しかければ答えてはくれるが、それ以上のことは話そうとしないし、ましてや自分から声をかけてくることなど絶対にない。二人の関係がまるっきり最初の頃に戻ってしまったようで、直江は歯がゆくてしかたがない。
 だが、その様子からは直江を嫌っているような印象は決して受けない。感情を抑え込み、何かを堪えているように見受けられるのだ。高耶は一瞬痛そうな目をして、すぐに視線をそらした。
「あ〜あ。まぁた振られてやんの」
 面白がってからかう千秋には答えず、直江は別の客の方へ歩いてゆく高耶の背中をじっと見つめていた……。


*  *


 もうそろそろ終電もなくなりそうな真夜中になって、ようやく高耶は店の裏口から姿を現した。
 あれから一時間ほど千秋と雑談をして店を出た直江は、路肩に駐車した車の中で彼のバイトが終わるのを待っていたのだ。
 まるでストーカーめいたこんなことをしようと思ったのは、今夜こそ高耶の真意を確かめようと決意したからだ。
 駅の方へ向かって歩き出した高耶にそっと車で近づいて、窓を開ける。
「高耶さん」
「……っ!」
 もう帰ったものと思いこんでいた男の不意の出現に思わず息を飲む。とっさのことに隠しきれない動揺が、大きく震える肩に表れていた。
「高耶さん。乗ってください」
「……いい。ひとりで帰る」
 短く拒んで立ち去ろうとしたが、直江は諦めずに食い下がった。
「貴方に話したいことがあるんです。−−乗ってください」
 有無を言わさぬ厳しい調子の男の声に、隠しきれない苛立ちが交じる。そのまま無視して行くこともできたが、車を降りてきて無理矢理乗せられてしまいそうな強硬さを声色から感じ取って、高耶は諦めて足を止めた。
(……ちょうどいい機会かも知れないな。全部はっきりさせて、終わらせてしまおう……)
「……わかった」
 静かに言って、真っ直ぐに直江を見返してくる瞳には何かを決心したような色が見えた。それがどういうものなのかわからないまま、内心に混乱を隠して高耶を助手席に乗せ、車を発進させる。
 しばらくの間二人は無言だった。車の運転をしながら片手間にするような内容の話ではない。直江は自分のマンションに向かって車をひた走らせた。途中の景色が自分のアパートに向かう道のものではないと気がついた高耶が尋ねる。
「……どこに行くんだ?」
「私のマンションです。そこでゆっくり話しましょう」
「……わかった」
 それからはまた無言の状態が続き、息苦しさを感じ始めた頃になって、ようやく直江のマンションに辿り着いた。しばらく直江とつき合っているが、彼のマンションにくるのはこれが初めてだった。ウォーターフロントにそびえ立つ高層マンションの最上階。いわゆるペントハウスだと聞いて驚いた。
(……やっぱり、全然住んでる世界が違うんだ……)
 新たな失望を感じて小さくため息をついたが、直江は気がつかないようだった。
 エレベーターで最上階へ向かい、部屋に入ると直江は高耶をリビングに通した。黒とグレーでまとめられたシックな室内。中央に置かれたソファに勧められるままに腰掛ける。直江はその横にあった一人用のソファに腰を下ろし、おもむろに口を開いた。
「……この二週間、ずっと貴方に聞きたいと思っていたんです。……どうして私を見ると貴方は怖がるんですか? あの夜、頷いてくれたのは嘘だったんですか?」
 直江の問いに、弱々しく首を振る。
「……嘘じゃなかったよ。……あの時は」
「……あの時は?」
「……そう。あの時はお前の言葉をもう一度信じようとほんとに思った。……けど」
 歯切れ悪く言葉を切る。直江はじれったそうに問いつめた。
「だけど、何なんですか? 言ってください」
 そう思ってくれたのなら、何故自分を避けるのか。怯えるのか。
 憤りが語気を強くさせる。
「……オレじゃあ、直江にはやっぱりふさわしくない。そう思ったから」
「……っ!」
 直江が鋭く息を飲む。瞬間、胸に走った鋭い痛みに思わず表情が歪む。
「……オレはまだ確かにお前のことが好きだよ。あの時、女と一緒にいるところを見て感じた絶望も嫉妬も、本当だ。……でも、あの時はあんな風に言ってくれたけど、お前はきっとそう遠くない未来にオレのことが嫌になる。お前を、自分にだけ縛りつけたいと思ってしまうオレを……」
 直江は高耶に自分が植えつけてしまった疑心暗鬼がこれほどまで強いものだとは思ってもみなかった。傷を忘れない理性が心に枷を填め、愚にもつかない幻想の未来を高耶に見せる。それがいずれは現実になると思いこみ、高耶は怯え、想いを打ち消そうとしていたのだ。
 以前、直江につきまとい、二人が出逢うきっかけになった女−−葛木ミホ。
 彼女と同等の、否。それ以上の執着を、直江に対して覚えはじめている自分への嫌悪もまた、高耶を追い込んでいた。
 あんな醜悪な姿を、直江に見せたくない。
 冷たい言葉と眼差しで軽蔑されるなんて、耐えられない。
 −−だから、まだ後戻りできるうちに諦めようと思い直したのだ……。
 胸の内に抱えた苦しさを少しずつ吐き出す高耶の告白を聞いていた直江は、最初は彼の勝手な思いこみに腹が立った。
 どうして?
 どうして、答えも訊かないままにすべてを諦めてしまうのかと、肩を掴んできつく問いただしたい衝動にかられた。しかし、じっと我慢して聞いているうちに、自分の言動にも高耶にそんな思いこみをさせてしまうような非があったことは否めない。
 そもそも、ミホの限度を超えた執着を厭い、高耶を利用して彼女を遠ざけようとした行動が、彼の抱える不安の根底にあるのだ。後腐れのないドライな関係を直江が好むと思いこみ、己の想いが持て余され、嫌悪されると高耶が考えてしまうのも無理からぬ話だ。
 確かに、以前の直江はそうだった。一時の欲望を互いに満たすだけの、後腐れのない関係。だからこそ、ミホを疎んじたのだ。
 −−しかし、高耶に対しては違う。
 直江自身、ミホのことをとやかく言えないような執着を、彼に対して抱いている。
 この想いを、高耶に分かって欲しい。
 そんなつまらない不安を、すべて拭い去ってやりたい。
「ミホのことも含めて、貴方を不安にさせてしまうような言動があったのは確かです。でも……私は本当に貴方を愛しているんです。だから、貴方が返してくれる想いを嬉しいと思いこそすれ、嫌いになるなって絶対にあり得ない。執着なら、きっと私の方が強いでしょう。貴方が私を嫌いになっても、憎んでも、手放しはしない……! だから、ひとりで思いこんで諦めたりしないで。私の傍にいて……?」
 肩を掴んで自分の方を向かせ、黒い宝石のような瞳を覗き込みながら言ったが、高耶は苦しそうに目を伏せて首を横に振るばかり。
「……いいんだ。もう、オレには構わないでくれ」
「……高耶さん!」
 一方的に拒絶して、ソファから立ちあがろうとする高耶の腕を掴む。
「放してくれ!」
「嫌です! 貴方がわかってくれるまで、絶対に放しません!」
「直江……ッ!」
 高耶の顔が苦痛に歪む。
 こんな顔をさせたいわけじゃない。苦しめるつもりなんかない。……なのに!
「……どうしたら……っ。どうしたら貴方はこの気持ちを分かってくれるんですか!?」
「そ、んなこと……っ。オレにだってわからねぇよ! もう苦しくて駄目なんだ! 傍にいたいと思えば思うほど怖くて……! もうオレに触れないでくれ! かまわないでくれ!」
 感情を抑えられず、涙さえ零して腕を振り払おうとする高耶を逆に引き寄せて、強くかき抱く。
「高耶さん……ッ!」
「……直江っ。お前のこと信じたい……! でも……」
 言いかける唇に指をあてて、言葉を封じる。
「それ以上、何も言わなくていいから」
 鳶色の瞳に宿る深い色に、高耶は言いかけた言葉を飲み込んで押し黙る。
 まだ、触れるべきではないと思っていた。高耶の笑顔が戻るまではと……。
 しかし、彼の気持ちを取り戻すために、自分のこの真実の想いを伝えるために。
 −−直江は自分に課していた禁忌の枷を外すことに決めた……。


to be continued



 9500HITの和規さんのリク作品で「IMITATION CRIME」の続編になります。自業自得とはいえ、直江がちょっと可哀想かも。
 え〜〜後編は焦れた直江が実力行使に出てしまったので、裏にUPになります。
 和規さん、リク的にはOKでしょうか?
 


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