Written by とらこ 最終話 家を飛び出した三男坊と連絡が取れたのは、高耶達が札幌に着いてから四日後のことだった。 直江の気持ちも少しは落ち着いてきたのか、五日ぶりに携帯電話の電源を入れたのだが、ものの五分もしないうちに着信音が鳴り響く。液晶画面に表示された番号は、無論のこと見慣れた実家のものだ。 「……はい。橘です」 至って冷静な声で応対する弟に、向こう側の照弘は息を飲む。 『……義明ッ! お前、今どこにいるんだ!?』 「おや、兄さん。まだそこにいたんですか? 仕事の方はいいんですか?」 『……この馬鹿が! あのまま帰れると思うのか!? そんなことより、今どこにいるんだ!?』 「そんなこと、言えるわけがないでしょう」 仮にも駆け落ちしている最中なのだから。 『義明。仰木君も一緒に戻ってこい。……この間のことは、私たちが悪かったと思っている』 「…………」 『……とにかく、もう一度私たちに機会をくれないか? 今度はお母さんも落ち着いたし……戻ってこい。もう一度、きちんと話をしよう』 兄の言葉に嘘は感じられない。しかし、それでも返答を渋っていると、傍らにいた高耶が袖を引いた。 「……直江」 どうやら、向こう側の照弘の声が聞こえていたらしい。 「照弘さんの言うこと、信じてみよう。最後の決断をするのはそれからだって遅くないだろ?」 「……高耶さん」 「今度駄目だったら、オレはもう何も言わない。黙ってお前について、どこまでだって行ってやるから……だから」 高耶に切ない目をしてそこまで言われては、嫌だとも言えない直江はしばし考え込んだ。そして、ひとつ小さくため息をついてからおもむろに口を開いた。 「……わかりました。高耶さんに免じて一度は帰ります。……でも、また同じことを繰り返したら今度は戻りませんから。そのつもりで」 脅迫まがいの言葉を一方的に言って、唐突に電話を切る。 「お前は! あんな言い方するなんて……!」 「いいんですよ。先手を打っておかないとね」 悪びれもせずに笑ってみせる直江に対して、高耶は呆れたようにため息をついた。 * *
そして、それから三日後。 ほぼ十日ぶりに三男坊の愛車であるウィンダムが、光厳寺に帰ってきた。 どたどたと駆け寄ってくる家族の前で最初のように高耶をエスコートして助手席から降ろすと、ひた、とこの上なく真剣且つ不穏な目つきで一同を眺めやる。 説得に応じて帰ってはきたものの、こちらの出方次第ではまた駆け落ちする気なのがありありとわかった。高耶は家族を牽制する直江を咎めるように袖を引いた。 「馬鹿! 最初からそんな喧嘩腰でどうするんだよ! 違うだろ!」 「……でも、高耶さん」 直江に皆まで言わせず、高耶はその頭を掴んで無理矢理押さえつけて深く下げさせる。 「……あのっ。今回はお騒がせしてしまってすみませんでした」 「た……高耶さんっ。痛いですよ」 尚も抵抗する直江を押さえつけて、自分も深々と頭を下げる。 「……とりあえず、こんなところで立ち話もなんだ。仰木君。中に入ってくれ」 「……はい」 照弘に促されるままに家の中に入り、前と同じ客間に通される。直江と高耶、橘の家族は向かい合ってソファに座り、しばし互いに黙り込んでいたが、ようやく意を決して口を開いたのは高耶だった。 「……あの」 口を開いたものの、一体何を言ったらいいのかわからずに困っていると、直江の父がふっと口元を綻ばせて言った。 「義明。この間のことは私たちが悪かった。たとえ世間に憚るようなことでも、家族として理解しようとすることもせずに頭から反対したのは間違っていた」 深々と頭を下げる父の横で、母も同じように項垂れる。 「……私は、義明さんのためによかれと思ってあんなことをしてしまったけれど……お父さんに言われて目が覚めました。義明さんには義明さんだけの幸福の形があるんだと」 まるで憑き物が落ちたような母はすっかり落ち着いていて、心底反省している様子に嘘はなかった。 「そちらの仰木さんのことも、家族として受け入れられるようにしたいと思っています。……今はまだ、完全には気持ちを割り切ることができないけれど、いずれは……」 橘義明の家族として、高耶の存在を一生懸命受け入れようとしてくれる気持ちが嬉しかった。高耶は思わず泣きそうになって、必死に涙を堪えていた。 「私と義弘にも異存はない。……なんとか言ったらどうなんだ? 義明」 さきほどから一言も口をきかない弟に呆れてため息をつく。 「……すみません。はっきり言ってこんな展開は予想していなかったもので……。なんて言ったらいいのか……。でも、とても嬉しいですよ」 正直なところ、ここまでの理解を示してくれたのはまったく予想外のことだった。特に母は難しいだろうと踏んでいたのだが、深く反省して項垂れているのが気の毒に思われるほどだ。母をここまで黙らせ、且つ納得させられるのは、この家にはたったひとりしかいない。 直江は自分の正直な感謝の気持ちを込めて、父の目を見つめた。そして、深々と頭を下げる。 「……ありがとう、ございます……」 その一言に春枝はようやく安堵し、滲む涙を袖口で拭った。 「さあ、義明さん達も帰ってきてくれたことですし、今日はごちそうでお祝いしましょう。……仰木さんの歓迎の意味も込めて」 「それはいいですね。お母さんにしてはいいアイディアだ」 「一言よけいですよ。照弘さん」 咎められて、照弘は首を竦めてみせる。 誰からともなく笑みがこぼれて、橘家に久しぶりの暖かな笑い声が満ちた……。 * *
それからは以前のように橘家の三男坊は東京のマンションに住み、長兄の会社を手伝っている。 変わったことといえば、その恋人が一緒に暮らすようになったこと。 ……そして ある木曜の夜。 夕食も終わり、これから思う存分甘い時間を過ごそうとしていた幸福な恋人達の耳に、無粋な電話の音が届いた。 なんとなく嫌な予感がして出たくなかったが、しつこく鳴り響くそれに根負けして直江は嫌々ながらに受話器を取った。 「もしもし……」 『こんばんわ、義明さん。出るのが遅いですよ』 「すみません。ちょっと離れたところにいたもので……。ところで、こんな時間に何か用ですか? お母さん」 『いえ。特にたいした用事じゃないんですけど……今度の週末はこちらに戻ってくるのかと思いまして』 (やっぱり……) 直江は頭を抱えてその場に座り込みたくなってしまう。 家族と和解してからこっち、週末を控えた木曜日の夜というと必ず春枝から電話がかかってくるのがすっかり恒例になってしまっていたのだ。 それというのも、高耶の人柄をよく知るにつれて、春枝が彼のことをすっかり気に入ってしまったことが原因だった。 気だてが良く、優しい上に、なまじそこいらの女性よりもまめまめしく家事をこなし、料理も上手い。しかも付け加えて顔立ちも思わず見惚れるほど美しいとくれば、気に入らないはずもない。 まるで自分の子供のように……否。自分の息子達よりも高耶を可愛がるあまり、毎週のように実家に来いと電話をしてくる始末……。 (……最初はあんなに認めないと騒いだくせに……) 最初は母の豹変に驚きながらも嬉しかった直江だが、ここまで過剰に構われるといっそ頭にくる。というか、直江の本音は週末はゆっくりと二人っきりで過ごしたいだけなのだが……。 「……お母さん。先週もそっちに帰ったでしょう? そんなにしょっちゅう帰れるわけないでしょう」 『……でも』 「今週は仕事が入っていますので戻れません」 けんもほろろに言ったのだが、春枝もしつこく食い下がる。 『忙しいのは義明さんだけでしょう? 高耶さんだけでもこちらにこれないの?』 ついに零れた母の本音にぷつんと頭の中で何かが切れた。 「高耶さんも忙しいんですよ。バイトがありますから。−−それじゃ」 『あ! 義明さん! よし……』 一方的に電話を切ると、それ以上の追撃を阻止するためにモジュラージャックを引き抜く。携帯電話の電源も切って深々とため息をついていると、傍らから押し殺した笑い声が聞こえてきた。 「……高耶さん。笑い事じゃありませんよ」 「……ごめん。でも、おかしくって……」 尚も笑っている愛しい人を、腕の中に抱き締める。 「貴方は私だけのものです」 「……相手はお母さんだぞ?」 「それでもです。……今度の週末は、二人だけでゆっくりしましょうね」 高耶が悪戯っぽく眉を上げた。 「あれ? 忙しいんじゃなかったっけ?」 「高耶さん。そんな意地悪を言うのは、この口ですか?」 直江の指にすい、と顎を持ち上げられて、ふわりと微笑む。 「嘘だよ。……直江と一緒にいられるなら、それ以上嬉しいことないよ」 「高耶さん……」 こみ上げる想いを口づけにのせて、唇を重ねる。最初は触れるだけだが、それがすぐに深くなるのにさして時間はいらなかった。 お互いに一緒にいられるという幸福が、躰の隅々に満ちている。 以前も感じていた幸福感だが、直江の家族に認められたことでそれはより深くなっていた。 「絶対に離しません……」 「うん……。直江」 ずっとずっと、一緒にいよう……。 End ふい〜ようやく最後に辿り着くことができました。最後は甘々テイストで直江のワガママ炸裂でした(笑) これからも高耶さんを巡る親子の仁義なき戦いは続く? カンナさん、リク的にはOKでしょうか〜? |