Present for you
Written by とらこ
その日、直江信綱の朝の目覚めは希望と喜びに満ちていた。 いつも寝起きは割と良いほうなのだが、今日はいつにも増してばっちり目が覚めた。 日付は五月三日。自分の今の宿体、橘義明の誕生日だ。 女性でもないし、しかも三十をいくつか越えてしまっているので今更、自分の誕生日には格別感慨もない。 しかし、今年の今日は特別なのだ。 『……来月の三日、空いてるか?』 いくらか緊張した声色で高耶が電話をかけてきたのは、二週間ほど前のことである。連休は当の高耶とゆっくり過ごそうと思っていたので予定はばっちり空いていた。そのことを話そうとしたが、先に高耶が切り出してきた。 直江の誕生日だから、逢おうと。 誕生日はともかく、もとよりそのつもりだった直江に異存があるはずもない。快く二つ返事でOKすると、考えていた初日のデートプランを話した。 「高耶さん、このあいだ見たい映画があるって言ってましたよね」 『ああ、あれか』 「前売り券を手に入れたんですよ。その日、見に行きませんか?」 『えっ、ほんとに!? 行く!』 そんなこんなで五月三日の予定は決定し、今日その日を迎えたのだ。 珍しく高耶の方から逢いたいと言い出してくれたのが、嬉しくてならない。 (……この連休は貴方を離しませんよ。高耶さん) * *
一方この日、仰木高耶の目覚めはあまり快適とは言えなかった。 昨夜あまり眠れずに、もんもんとして過ごしてしまったせいだ。 (……どうしよう) 起きるなり、高耶は蒼白な顔でカレンダーの日付を見つめた。 ついにこの日が来てしまった。 今日は五月三日。 直江の宿体である橘義明の誕生日だ。 何をプレゼントしたらいいのか悩みに悩んでデパートに連日通い詰めていたのだが、結局決められずに今日という日を迎えてしまった。 直江が普段使えるものにしようと最初は考えて店を覗いてみたが、あの男が何気なく身につけているものの値段を見て、高耶は思わず引きつってしまった。学生である高耶の経済力ではとうてい手の出ないものばかりで、早々に諦めるしかなかった。 そして、次に見たのは服だった。休日に家で着るようなラフなものならば多少安いものでもいいだろうと思ったのだが……。最初に高価なものを見てしまうと、いかにも見劣りしてしまい、直江には似合わないのではないかと思えてきて結局何も買えずにずるずると今日まできてしまった。 何もプレゼントしなくても、直江のことだ。「貴方が傍にいてくれればそれでいいんです」とかなんとか言いそうだが、それでは高耶の気が済まない。 直江は誕生日やクリスマスは勿論、バレンタインデーやホワイトデー、果てはやれ原生の誕生日だの命日だのまでかこつけて何かと高耶にプレゼントをくれる。 嬉しいことには嬉しいのだが、反面でなにも返せない自分が嫌になる。 今回こそはと決心したのだが……。 (……これだから金持ちのボンボンはよ) 挫折して投げやりな気持ちになり、心の中で独語する。 ふと時計に目をやると、既に午前9時を回ろうとしている。 今日は午後の1時に待ち合わせをしている。 珍しく高耶から言い出して約束したのだ。 直江の誕生日だから、自分から直江を祝ってやりたくてそうしたのだが……。まさかその時はこんなことになるとは思ってもいなくて、なんだか顔を合わせづらい。 それでも、のろのろと高耶は出かける支度を始めた。 * *
早めにアパートを出てあちこち見ながら歩いてきたが、やはり直江に似合うものを見つけられないまま、待ち合わせの場所に辿り着いてしまった。約束の時間にまだ五分もあるというのに男は先に着いていて、笑顔で高耶を迎えた。だが、すぐに高耶の浮かない表情に気づいて訝しげに尋ねる。 「高耶さん? どうかしたんですか?」 「……ううん。なんでもねえよ」 具合でも悪いのかと直江は心配したが、高耶は曖昧な笑みでかわして、二人はそのまま今日のデートコースである映画館へ向かった。以前から高耶が見たいと言っていた映画のチケットを直江が手に入れてくれたのだ。 近未来SFアクションの続編で、高耶はとても楽しみにしていたはずなのだが、プレゼントのことに気を取られていて、終わった時には結局内容はほとんど覚えていない有様だった。 喫茶店で一休みしている間も深く考え込んでいるばかり。そのまま車であらかじめ予約してあるレストランに向かう間も高耶は心ここにあらずの状態で、直江はついに我慢しきれすに高速のパーキングエリアに入って車を止めた。 真摯な眼差しで見据え、肩をつかんでこちらを向かせると、優しく、しかしこれ以上言い逃れはできない厳しさをもって問いただす。 「一体どうしたっていうんですか? あんなに見たがっていた映画もうわの空で……。何かあったんですか?」 「別に。何でもないって」 顔だけをそむけて言うが直江は信じない。 「嘘だ」 にべもなく否定する。 直江相手には上手く嘘をつくことができない。高耶は最早ごまかすことを諦めて、深く俯いて小声で言った。 「……てないんだ」 「え?」 「……プレゼント、用意してないんだ」 気まずい様子で、重い口を動かす。 「探してたんだけど、なかなかいいのが見つからなくて……」 ごめん。 間近にいても聞き取りにくいほどの小さな声で謝り、更に俯きかけた顔を直江の指先がとらえる。顎を軽く持ち上げて、触れるだけの優しいキスをする。 「……っ! なおえっ!」 スモークガラスで外からは何も見えないとわかっていたが、ここは人の多い高速のパーキングエリア。しかもより混み合う休日の昼間だ。いきなりのことにあせった高耶は慌てて身体を離した。 「外からは見えませんよ?」 「それでも……っ!」 恥ずかしいことには変わりない。 軽く直江を睨め付けると、 「……すみません。嬉しくて、つい」 穏やかな笑みを向けられて、どきりとする。 「私は貴方が傍にいてくれればそれで満足です。その気持ちだけで充分ですよ」 予想した通りのことをぬけぬけと言ってのける。 「……でもっ。それじゃオレの気が済まないんだよっ」 いつも一方的に貰ってばかりいるのは公平じゃない。 ひとり納得できない高耶は憮然として横を向いてしまった。 そんな様子を見て、直江は困ったように小さく息をついてから、おもむろに言った。 「……じゃあ、こうしませんか? これから一緒にデパートに行きましょう。私が欲しい物を選びますから、それを下さい」 それなら、貴方も迷わないでしょう? 高耶はしばらく黙っていたが、直江の出した案に小さく頷いて同意する。 なんだか我が儘な子供を宥めているような態度に少しムッとしたが、それ以上自分を納得させるだけの案も見つからなかったのだ。 「じゃあ、行きましょうか」 再び走り出した車は手近なインターチェンジで高速を降りて、都内へ入った。 ほどなく着いたデパートで直江が選んだ物は小さな本皮製のキーケースだった。ブランド品で、小さいながらも見た目は上品で高価そうな印象だったが、こっそり覗き込んだ値段はさほどのものではなく、少し安心した。 一応それらしくラッピングしてもらい、車に戻ってから早々に手渡す。 「はい。おめでとう。直江」 いざとなると照れくさくて、それ以上何も言えずにプレゼントを突き出してしまったが、相手の気持ちをよく知っている直江は淡く微笑んで受け取った。 「ありがとうございます、高耶さん。大切に使わせてもらいます」 「うん」 ようやく渡してしまうと安心したのか、高耶は大きく息を吐いていつも通りの屈託のない表情に戻った。そして、うわの空でまったく見ていないも同然の映画が今更のように見たくなった。 「あ〜あ。惜しいコトしたな」 「何がですか?」 「最初からこーしてれば馬鹿みたいに悩まなくてもよかったと思って。おかげで今日の映画、ぜんぜん覚えてねーんだもんな」 心底悔しがる高耶を見て、直江はしばし考えてからおもむろに口を開いた。 「じゃあ、後でもう一度見にいきましょうか?」 「えっ? でも、お前はちゃんと見たんだろ?」 「……貴方が沈んだ顔してるのに、暢気に映画なんて楽しめたわけないでしょう。貴方のことが気になって、私もまともに見ていないんですよ、実は」 「……ほんとに?」 「本当です。だから、後でもう一度見にいきましょう?」 もう一度問いかけられて、高耶は笑顔で頷いた。 「うん。行く!」 「日にちは後で決めましょう。とりあえず、レストランに行きましょうか。気が抜けたらお腹すいたでしょう?」 「あたり。今にも腹の虫が鳴き出しそうで……」 お腹をさすってみせる高耶に笑顔を見せながら、車のエンジンをかける。 夕暮れの都内を、二人を乗せたウィンダムが走り出してゆく。 * *
今日直江が連れて行ってくれたのは、海沿いのフレンチレストランだった。 予約してあった席は海側の窓に面していて、海に沈んでゆく夕日と、暗くなってからは綺麗な月を眺めながら食事を楽しめる最高の場所だった。 メインの魚料理を食べていると、今まで空だった高耶のグラスに直江がワインを少しだけ注いでくれた。 「どうしたんだよ? いつもは未成年だから駄目ですよ、とか言って飲ませてくれないくせに」 「プレゼントのお礼です。今日は特別ですよ」 「じゃ、遠慮なく。……直江、乾杯しようぜ」 自分のグラスを手にとって前に差し出す。直江が淡く微笑んで、同じようにグラスを前に出した。 カチン、と小さな音が二人の間に生まれる。 「誕生日おめでとう。直江」 改めてそう言って、高耶はグラスの中の赤いワインを口に含んだ。 「……ねえ、高耶さん。もうひとつ、欲しいものがあるんですけど、いいですか?」 「何?」 口元に浮かぶ意味深な笑みに首を傾げながら問う。 「この連休中の貴方の時間を、私にくれませんか?」 「……え?」 一瞬の間をおいてその意味を理解した高耶は、真っ赤になって口ごもった。 「え……時間って……」 「数日だけでいい。貴方を独占していたいんです。……駄目ですか?」 (……別に、駄目ってわけじゃないけど……) 高耶の心も身体も、いつだって直江に独占されているのに……。 この男はどうしてこう肝心なところで鈍いんだろう。 でも、悪くない話だ。 高耶もまた、直江をずっと独占していたかったから……。 「いいよ。オレの時間をお前にやる」 嬉しい事この上ないが、ずいぶんあっさりした返答に、直江が眉をあげる。 「本当に、いいんですか?」 「いいって言ってんだろ。……いらないんなら別にいいんだぜ。撤回しても」 「いります!」 意地悪い言葉に慌てて即答する。 その様子を見て高耶が小さく吹き出すと、直江もつられるように淡く微笑んだ。 「……とても、嬉しいですよ」 真摯な響きの言葉に、高耶の頬に朱が散る。 「……馬ぁ鹿」 直江にとってこの上なく幸せな一日は、まだ終わらない…………。 END
直江のお誕生日小説ということで依捺さんからのリクエスト作品です。直江って、何をプレゼントしたらいいのかホントわかんないです。安い物は似合わなさそうだし……。一番簡単なのは高耶さん丸ごとプレゼントかな。やっぱり。直江もそれが一番嬉しいよねぇ。 ということで!(なにが?)直江! お誕生日おめでとう! 2001年直江のお誕生日小説で、依捺さん&相楽さん「あるてまっ!」にUPしていただいていたものです。 |