出せない手紙

 
Written by とらこ

[後編]


 再会は、まったくの偶然だった。
 バイトに行く途中の駅。
 今までだって何度も通った道。
 まだ松本にいると思っていたその姿を視界に認めた瞬間、高耶はぎくりと躰を強張らせてその場に凍りついた。
 こんなところにいるはずがないと思い直すが、自分があの背中を見間違えるはずがないことも嫌というほど知っている。
 この二年間、最も逢いたくないと思っていた。
 だけど、最も逢いたいと願っていた……。
 このまま振り向かずに、高耶の存在に気づかないまま立ち去って欲しいと思っていたが、高耶の願いに反して男の背中はくるりと反転し、彼の顔がこちら側を向いた。相変わらず女にもてていそうな整った造作。ふと正面を見た鳶色の瞳が、高耶の姿を見つけた瞬間に大きく見開かれる。
「……高耶、さん……っ!」
 わずかに強ばった声で名を呼ぶなり、青ざめて厳しい顔つきになった直江が、一歩また一歩と足早に近づいてくる。高耶はそのままきびすを返して逃げ出してしまいたい衝動に駆られたが、意志に反して足はその場に凍りついて動かず、その間に直江の腕が伸びてきて強い力でつかまえられてしまう。
 直江は静かに、だが激しく怒っていた。
 ひしひしと肌を刺すように感じられるその怒気を、高耶は不思議な心地で受け止めていた。
(……どうして?)
 直江が怒っている理由が、高耶にはわからない。否。わかりたくなかった。
「貴方は……! 今までどこにいたんですか!? 私や美弥さんがどんなに心配したか……!」
 高耶の両腕を掴んで激しく揺さぶりながら叫ぶ。が、周囲の人々の視線がさっと集まり、気まずくなって声を低くした。
「とにかく、こんなところではゆっくり話も出来ない。−−一緒に来てください」
 強く腕を引かれて、慌てて振り払う。
「オ、オレには話すことなんかないっ!」
 そのまま走って逃げようとしたが、直江はまた素早く腕を捕らえて、それを許さない。
「貴方にはなくてもこっちにはあるんです。−−来なさい」
 抵抗も空しくずるずると引きずられ、着いた先で車に押し込められる。
「……っ! いやだ! オレは降りる!」
「……黙りなさい。これ以上騒いで逃げようとするなら、気絶させてでも連れていきますよ」
「……っ」
 直江の双眸に宿る光が、紛れもない本気を無言のうちに伝えてくる。
 不承不承黙り込んだ高耶を見据えてドアを閉め、自分も乗り込んで車を発進させる。
「……どこに行くんだよ? 話ならここでだってできるだろ?」
 直江は答えずに黙って車を走らせる。高耶もそれ以上何も言えずに再び黙り込んでしまう。
 息苦しい沈黙。
 直江の傍にいると、必死に忘れようとしていた想いが息を吹き返しそうになる。二年前にも経験した、嫉妬と絶望が入り交じった最悪な気持ちが心を支配してゆく。
 上手くセーブできずに苦い表情で下を見ていると、しばらくしてふいに車が停止した。乱暴にドアを開ける音。続けてコンクリートを歩く足音が聞こえてきて、ふいに助手席のドアが開いた。と思ったら顔を上げる前にぐいっと腕を引かれてよろめくように車の外に連れ出された。
「来なさい」
 躰が凍りついてしまいそうな、冷え切った声色。
 美弥のために、直江は怒っているのだ。
 その事実が、更に高耶を打ちのめした。
 もはや抵抗する気力さえなく、引きずられるままにエレベーターに乗り込み、最上階の一室に連れていかれる。自分からは動こうとsない高耶の背を押してリビングに入ると、直江は肩をつかんで無理矢理ソファに座らせた。
「ここにいなさい。今、お茶の用意をしてきますから」
「……んなもん、いらねーよ。話とやらをさっさと終わらせて帰してくれんのが一番ありがたい。バイトに遅れちまう」
 直江の方を見ようともせず、押し殺した声でそう言った高耶に思わずかっとなってしまう。
「貴方は……ッ!」
「連絡してなくて心配かけたのはわかってるよ。……でもさ、オレはもうガキじゃねーんだ。ほっといてくれないか」
「……高耶さん!」
「……大体、あんたが心配してんのは美弥の方だろ? さもさも当たり前みたいな顔して説教すんのやめてくんない? うざってーから」
 直江が呆れ果てて見放してくれるように、殊更つっけんどんな口調で言い募る。
「ていうか。あんた、美弥とまだ続いてたんだ。あいつガキだから、とっくの昔に飽きて別れたかと思ってたぜ」
 その瞬間、直江の表情が曇る。
「……いいえ。美弥さんとは、もう何の関係もありません。貴方がいなくなった半年後に別れたんです」
 苦渋の滲んだ声色に、高耶の肩がびくりと震えたのを直江は見逃さなかった。
(……美弥と、別れた……)
 その言葉に我知らず一瞬安堵して、わずかな嬉しさすら感じてしまった自分が許せなくて、高耶はきつく唇を噛みしめた。
 一方直江は高耶の表情が揺らいだことから、ふいに垣間見えた彼の中に押し隠された感情に気がついた。今までの薄情な言葉や様子は、やはり本当の高耶ではなかったのだ。
 そのことから直江は徐々に落ち着きを取り戻し始める。
「……なんで?」
「……原因は、貴方ですよ。高耶さん」
「な……ッ!?」
 予想もしていなかった言葉に、思わず男の顔を振り仰ぐ。
「……な、んでオレが関係あるんだよ? 一年半も前のことなんて……しかもオレはお前らの近くにいなかったのに。いいかげんなことぬかしてんじゃねーよ!」
「……そう。貴方はいなかった。貴方がいなくなってしまったことが、私たちのバランスを崩した」
 高耶を見つめる直江の瞳からは怒りがいつのまにか消え失せ、この上なく真剣且つ、切なげな光が宿っている。
 その瞳を見返しているのが怖くて、高耶はぱっと目を逸らした。
 今更のように馬鹿な期待をしてしまう自分が、嫌でしかたなかった。しかも、まるでたったひとりの大事な妹の不幸につけ込んでいるようではないか。
「貴方が東京に出ていってしまったと聞いた時、私はひどい喪失感に襲われた、もう貴方に逢えないと思うとどうしようもなく気が滅入ってきて、何もかもがどうでもよくなった。……私はまったく気がついていなかった。貴方という存在がいなくなって初めて、自分が貴方に強く惹かれていたことがわかったけれど、もう遅かった」
 これは、浅ましい夢だ。
 高耶は強く否定するように、何度も首を左右に振った。
「私は貴方の面影を求めるように美弥さんと会い、貴方の話をした。……会っても貴方のことしか頭にない私の心に、当然美弥さんは気づきました。……そして、深く傷ついた彼女は私との別れを選び、今は同じ高校の同級生とつき合っているそうです……」
「…………」
 大事な妹を傷つけた直江に、しかし怒りは沸いてこなかった。何故なら、それは高耶も同罪だからだ。
「……ずっと、貴方に逢いたかった……!」
 心の赴くままに高耶の肩に手を置き、抱き寄せようとするが、ぱっと乱暴に振り払われてしまう。
「……高耶さん!」
「じょ、冗談も大概にしろよな! 男のオレを好きだなんて……お前、どうかしてるんじゃないのか?」
 直江はひたむきな眼差しで高耶を静かに見つめて言った。
「……そうかも知れません。でも、貴方だって、本当はそうなんじゃないんですか?」
「な……なにを……」
 狼狽える高耶をよそに、直江はサイドボードの引き出しから何かを取りだした。
「これを」
 そう言って直江が差し出したのは、一通の手紙だった。
 その薄いピンク色の封筒には見覚えがある。
 美弥からのものだと即座にわかった高耶は深く俯いて唇を噛みしめた。
「……お前宛の手紙なんだろ。読めねーよ」
「いいえ。これは半分貴方宛のようなものです。貴方には読む権利……いえ。義務があります」
(義務だって? そんなもの……!)
 直江との想い出に溢れた手紙を読むなんて、高耶には拷問のようなものだ。
 それに、自分のせいで別れてしまったというならば、美弥は高耶のことを怨んでいるのかも知れない。
 そう思うと手に取ることなんてできない。ますます高耶は顔を背けた。
 だが、直江は静かに言った。
「……おそらく、この手紙の内容は貴方が予想しているものとは全く違うはずです」
「……?」
「貴方と、そして私を救ってくれる言葉を、美弥さんはくれました。−−どうか、読んであげてください」
 直江の声色からはいつしか怒りが消え失せ、優しく見守るような視線で高耶を見つめている。
 それでもまだ動けずにいる高耶に、直江は手紙の中を開いて手渡した。
 高耶は怯えた様子でそれを手に取り、ゆっくりと読み始める。進んでゆくにつれて、驚き、哀しげに変化してゆく彼の表情を直江はじっと見つめる。


『直江先生へ。
 もしかしたら、という願いを込めて、今この手紙を書いています。
 ほかでもない。お兄ちゃんのことです。
 私からはしょっちゅう手紙を書いていますが、一度も返事をくれたことはありません。電話はもし持っていたとしても私は番号を知らないし、お兄ちゃんと連絡を取る方法は手紙しかないのに。
 いっそのこと会いに行ってしまおうかとも考えましたが、手紙の返事さえくれないのに、会ってくれるはずがないと思いました。
 そう考えると、私がどれだけお兄ちゃんを傷つけてしまったのか、とても怖いのです。
 恋に恋するような幼い私の想いを守るために、お兄ちゃんはいなくなってしまったのだと、直江先生の目を見てようやくわかりました。
 お兄ちゃんの哀しそうな目は、いつも直江先生を見ていたんですね。私とは違う、本当の気持ちで。
 今頃になって気づいても、もう遅いのかも知れません。お兄ちゃんはもう二度と会いたくないと思うほど、私を憎んでいるのかも知れません。
 でも、それでも私はお兄ちゃんのことが大好きなんです。
 もし、東京のどこかでお兄ちゃんに会えたら、この手紙を渡して欲しいんです。
 本当に身勝手なお願いなんですが、もうこうするしか方法が思いつかないから。
 
 ごめんなさい、お兄ちゃん。
 みや、お兄ちゃんに会いたいよ。
 お兄ちゃんが美弥のことを一生許せないぐらい憎んでいてもいい。美弥はずっとお兄ちゃんのことが大好きだよ』


 その文面に一通り目を通した高耶は、手紙がぐちゃぐちゃになってしまうのにも構わずにぎゅっと抱き締めた。
「……弥……美弥……っ」
 どろどろとしていた心が洗い流されていくような心地だった。
 嫉妬も何もかも、すべてが嘘のようにくだらないものに見えた。
 あんなものに悩まされていたなんて。
 大事な妹のためと思いこんでいた自分の行動が、こんなに彼女を苦しめていたなんて、知らなかった。
 とめどなく零れてくる涙を拭いもせず、深く俯いている高耶を包み込むように、直江はそっと抱き締めた。
「……もう、ひとりで苦しんだりしないで。……私が、傍にいますから」
「な、おえ……」
 包んで、抱き締めてくれる腕があることが、まだ信じられない。
 永久に手に入らないと思っていたぬくもりが、すぐ傍にあるなんて。
「……ほんとに……?」
「美弥さんのことを思って姿を消した貴方の気持ちはわからないでもない。……でも、彼女はもう貴方の本当の気持ちを知り、それを許した。そして、貴方の許しを望んでいる。……返事を、書いてあげてください。本当は会って話をするのが一番いいのだけれど、急には無理でしょうから……。せめて、貴方の本当の気持ちをちゃんと伝えてあげてください」
「……なおえ」
 嬉しくて、更に溢れ出した涙をそっと男の指が拭う。何度も頷いて、ぎゅっとしがみついてくる高耶に直江は更に言葉を続けた。
「ついでに、私への答えもくれませんか? 今度こそ、はっきりと言います。−−高耶さん。私は貴方を愛している。……だから、もうどこにもいかないでください」
「……う、ん。……オレも、直江のこと愛してる……。ずっと、忘れられなくて、苦しくて……どうにかなりそうだった……!」
 震える体を抱き締める腕に、より力がこもる。
「もう、苦しまなくてもいい。私も、そして美弥さんも、貴方の気持ちをしっかり受け止めるから……」
「……うん」
 涙を浮かべたまま、はにかんで微笑む高耶の瞳にはもう暗い影はない。
 

 もう、ひとりきりじゃない。
 大事な人達が、いつも見守っていてくれる。
 お互いの心は、いつだって傍にいるから……。


End



 45000HITの香夜さんのリク作品の後編をお届けいたします。
 あう〜。なんとかまとまりましたが、これでOKをいただけるのでしょうか? 香夜さ〜ん。
 もしも「こんなんじゃ嫌〜!」と言われるのでしたら、リテイクもOKですので。


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