アンドロイドは愛しい人の夢をみるか? 2
永遠にずっと



Written by とらこ  

「前編」


 あれから二年。
 レスキューに無事に保護された二人は地球に帰り、一向宗が比較的少ないハワイ諸島のオアフ島で一緒に暮らしていた。連中の襲撃は止まないが、それを抜きにすれば二人はとりあえず幸福な日々を送っている。
 日射しの強い夏のある日。
 庭の木々の木陰で、Tシャツにジーンズ姿の高耶がしゃがみこんでいる。
「どうしたんですか、高耶さん?」
 後ろから近づいて問いかけると、なにやら難しげな表情で高耶が振り返った。
「……子猫……。触りたいんだけど、つかまえられないんだ」
 高耶は視界の端に見え隠れする小さな毛玉の塊を必死に目で追っている。二、三匹はいるだろうか。黒味がかったキジ模様が二匹と、真っ黒いのが一匹。おそらくは二人が飼っている黒猫の小太郎とどこかの雌猫との間に生まれた子猫だろう。
 その小太郎は高耶の足元でのんびりと寝そべっている。頭を撫でると目を開けるが、すぐに関心を失って目を伏せてしまう。
「どうした、小太郎? お前が連れてきてあげればいいのに」
「無理だよ、直江。猫はメスの方が立場が強いんだ。いくら親でも、オスは近寄れないよ。−−それに……」
 そこまで言って、高耶はふいに言葉を濁した。
「……高耶さん?」
 訝しげな声には答えず、黙り込んだまま小太郎を抱き上げて頬をすり寄せた。にゃお、と鳴いて、小太郎もまた高耶に顔を寄せる。
「小太郎は黒いから、暑くてちょっとバテてるみたいですね。……さぁ、家に戻りましょう。そろそろ綾子が遊びに来るころですから」
 綾子は直江の従妹で、何故か妙に高耶のことを気に入って、しょっちゅう遊びに来るのだ。高耶も綾子のことが気に入っていて、それを聞くと目を輝かせた。
「綾子が来るのか!? 綾子に子猫を見せたいから、もうちょっと頑張ってみる!」
 そう言って微笑む高耶があまりにも可愛らしくて、直江は引き寄せられるようにその額に軽くキスをした。
「……直江」
 高耶の瞳が驚いたように大きく見開かれ、次の瞬間に嬉しそうな笑顔に変わる。
「早めに戻ってくださいね」
 淡い微笑みとそれだけを言い残して、直江は家の方へ戻っていった。
 直江が家に戻ると、ちょうどよく車道に赤い派手な車が止まった。中から降りてきたのは、ソバージュヘアの派手めな美人。直江の従妹の綾子だった。太陽を見上げて暑そうに目を細めてから視線を戻し、直江を見つけると笑って手を振った。
「はぁい。直江。あたしの可愛い高耶はどこ?」
「……お前のじゃない。私の高耶さんだっ」
 綾子の冗談を真に受けて、直江は渋い顔でそう言った。綾子は一瞬呆けたが、すぐに腹を抱えて笑い出した。
「ばっ、馬鹿ねぇっ。冗談に決まってるでしょっ! そんなこと、言われなくてもわかってるわよっ!」
 目に涙さえ浮かべて笑っている綾子に、不快そうに眉をひそめる。
「んで、高耶はどこにいるのよ?」
「庭だ。お前に見せたいと言って、子猫をつかまえてる」
「んまぁ! なぁ〜んて可愛らしいのかしらっ! あ・た・し・の・た・め! に子猫をつかまえよーとしてくれてるなんてっ」
 綾子は意地悪そうに直江を見ながら、おおげさに言った。綾子の冗談をこれ以上真に受けるのも馬鹿らしくて、直江は構わずにドアを開けて家の中に足を踏み入れた。
「今日は脳味噌が沸く程暑いな。中で冷たいものでもどうだ」
「……そうね」
 軽くあしらわれてしまうとそれ以上からかう気もなくなり、綾子は直江の後に続いて家の中に入ろうとした。が、入り口を少し入ったところで前の男が不意に立ち止まり、その広い背中にしたたかに鼻を打ちつけてしまった。
「……ったぁ。どうしたのよ、直江?」
 ひょい、と横から顔をだして室内の様子を見た綾子は息を飲んだ。
「……な、によ……っ。これぇっ」
 家具や絨毯、カーテンから壁に飾ってあった絵まで、ぐちゃぐちゃに荒らされているではないか。見る影もないそれらを、直江は僅かに強張った顔で見回した。そして、最後に正面の壁に行き当たる。
 そこには、一枚の紙切れがナイフでとめてあった。
 中央に一向宗のマークが書かれている。
「直江。警察に連絡しましょ」
「いや。これは連中の警告だ。慣れているから、いい」


 −−警告。
 高耶を破壊する、と−−


 壊れたものを手際よくゴミ入れに放り込みながら、直江はふとそれに気が付いた。
 テーブルの上に置かれたマグカップ。底が割れて、入っていた中身が零れてしまっていたが、そんなことよりも、その壊れ方が奇妙だった。まるでそこを掴んだような、人の指の形に熔けているのだ。
「なんだ。これは……」
 とたんに、ぞわり、と嫌な予感が背筋を駆け上がった。
 これは、今までの連中とは違う。
 ふいにそんなことが思い浮かんだ。

 
 −−高耶さんが、壊れる!


 目の前が暗くなるような絶望的な予感に、直江は拳を強く握りしめた。
「……高耶さんっ!」
「あ! 直江! どこ行くのよ!?」
 綾子の声など、もう聞こえていない。直江は外に走り出て、高耶の姿を捜した。


*  *


 まだ子猫を捕らえるのに夢中になっていた高耶は、いつのまにか庭から出て大きな道路に出ていた。道路の真ん中で座り込んだ黒い子猫を捕まえて、ほっと息をつきながら頭を撫でる。
「お前、こんなとこで立ち止まったら駄目だぞ。車に轢かれちまう」
 指に噛みつく子猫をあやしながら家に帰ろうとした高耶が何気なく視線を周囲に向けると、いつのまにかそばに小さな女の子がたっていた。質素なワンピースに身を包んだ、どこにでもいるような少女。だが、その傍らには黒い大きな獣がおり、赤い双眸に殺気を漲らせて高耶を睨みつけている。少女もまた、幼い面差しには似つかわしくない挑発的な視線を向けてくる。
「TO723」
 甲高い声が、高耶のナンバーを呼んだ。
「……違う。オレは高耶だ。人間みたいに呼んでくれ」
 真顔で言った言葉を、鼻先でせせら笑う。
「旧式のロボットのくせに、変なこと言うのね」
 傲慢な笑みに、高耶は僅かに表情を強ばらせる。
(……この子供、一向宗? ……でも、竜の刺青がない)
 とっさに判断がつかなかったが、危険な気配を察した高耶は子猫をそっと地面に降ろした。
「小太郎。その子を連れてあっちへ行ってろ」
 高耶の言葉が通じたのか、小太郎は子猫の背中をつつくようにして庭の方へ歩いていった。
「人の家に何の用だ? しつっこい一向宗の奴か?」
「違う。あたしは人間じゃないのよ。山神よ」
「……や、ま、がみ……?」
 山神、と名乗った少女の言葉を確かめようと、高耶はスキャンしてみる。が、骨格も内臓も何もかも、普通の人間と変わりない。
 内心で首を捻りながら、目の前の少女に気を取られていて、高耶は背後から自分を狙う人影に気が付かなかった。
 どん、という鈍い衝撃とともに背中から太い矢に貫かれ、高耶は胸元から生えた鏃を押さえた。
(……しまった!)
「やったぞ! 破壊しろ!」
 喜々として茂みから躍り出た一向宗の男達。
(やっぱり、一向宗なのか。この子も)
 手に手に武器を持って、連中は高耶に襲いかかろうとした。が−−
 ガウン、と空気を振動させて周囲に響き渡った銃声に、連中は一瞬竦み上がって動きを止めた。
「高耶さんに触れるな! 撃つぞ!」
 片手に拳銃を持って、威嚇のために頭上に撃ちはなった直江が足音も荒く近づいてきた。男達は山神の背後にまわり、「ミホ様!」「山神!」と口々にわめいた。
「山神! 直江信綱です!」
 うるさい外野を完全に無視して、直江は高耶を腕の中に引き込んだ。高耶は直江に寄りかかりながら、背中に突き刺さった矢を押し出す。
「高耶さん。また背面センサーを切ってましたね」
 不用心を咎める口調に、高耶は俯いて口ごもった。
「……いや。その……ちょっと」
 その様子を見ていた山神は不快そうに眉を寄せて、両手を広げた。
「あたしがやるわ。下がってなさい」
 漲る殺気に、直江が顔を上げる。少女の周囲を取り巻く空気が不穏な色を帯び、静電気がばちんと大きな音をたてて火花を散らした。
 子供に銃を向けるなど、普段の直江ならば絶対にしないことだったが、少女が生み出す殺気に気圧されるように銃を構える。瞬間、まるで熱く灼けた鉄を押しつけられたような痛みが手を襲い、思わず銃を取り落としてしまった。
「……っっ!」
「直江っ!?」
「く……っ!」
 痛そうに顔を歪めて少女を見つめる。不敵な表情を浮かべる彼女は、満足そうに口元を歪めた。
「人間を殺す気はさらさらないわ。これは、警告よ」
「……な、んだと?」
「誰もあたしに逆らうことはできないの。TO723をおとなしく渡す事ね」
「……馬鹿な」
 少女を包む空気が、風もないのにごう、と呻った。熱い熱風が二人を翻弄するように吹き抜ける。
「−−あたしは山神。炎の手を持っているの」  
 一瞬のうちに、家全体が炎に包まれた。呆然としている二人の視界から少女も一向宗の連中のいなくなり、家の中からかろうじて脱出した綾子が走り寄ってくる。
「な、なんなのよ! 直江! 何があったのよ!?」
 当然ともいえる綾子の問いに答えられる者は、誰もいない。
「馬鹿な……」
 為す術もなく見上げる直江の横で、高耶が突然はっと顔を上げた。
(マスターの写真……っ!)
 血相を変えて炎の中に飛び込もうとする高耶の腕を、直江は慌てて掴んだ。
「駄目です!」
「でも、直江! 家が……っ」
「もう駄目ですから、行かないで」
 直江の腕を振り解こうと、高耶はもがく。
「でも、放してくれ! マスターの写真が……っ!」
「……っっ!」
 直江の表情が僅かに強張る。
 たった一枚の古ぼけた写真。
 たったそれだけのために、この炎の中に飛び込もうとするほど、マスターの存在は高耶の心を強くとらえているのだ。
 沸き上がる嫉妬が、引き留める腕に更に力を込める。
「もう諦めなさい!」
「いやだ! あれしかないんだぞ!」
「高耶さん!」
「放して……っっ!」
 暴れて突き飛ばすと、バランスを崩した直江が地面に膝をついた。力が弛んだ隙に腕を解いたが、見上げる痛そうな表情と目があって、高耶は一瞬びくりと肩を震わせた。
「……ごめん。すぐ、戻るから」
 のばした手を振りきるように、炎に包まれた家に駆け込んでゆく。


 どうして……どうして邪魔するんだ!
 こんなにそばにいるのに、とっくの昔に死んでしまった人間に、簡単に高耶さんを奪われる。


「高耶さん!」
 轟々と呻る炎の中に、直江の悲痛な叫びが響き渡った……。


*  *


 家は完全に焼け落ち、二人は直江の友人で医者をしている千秋のところに身を寄せた。綾子には、当分の間近づかないように警告して別れた。心配して自宅に来いと言ってくれたが、これ以上綾子を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
 直江が当座の生活に必要な物を買い出しに行っている間、高耶は千秋に身体の傷を修復してもらっていた。
 なんとか写真を持って無事に出てこれたものの、人工皮膚があちこち焼けこげてしまっていたし、最初に矢に貫かれた傷もそのままだったのだから。
「ほい。終わりだ」
 治療を終えて、ペチンとおでこを叩く。
「ありがと、千秋」
「あんま無茶すんじゃねーぞ。狙われてるくせに背面センサー切りやがって」
 千秋の言葉に、高耶は僅かに俯いた。
「……でも、背面センサーのついてる人間なんていないだろ」
「おんや? 人間みたいになりてーのか?」
(……なりたい)
 即座に思ったが、あまりにも大それた、決して叶うことのない夢に自分でも寂しくなって、高耶はがくりと肩を落とした。
「……別に、小太郎みたいな猫でもいいんだ。……死ぬものになりたい」
 それを聞いて、千秋は眉をひそめた。
「ずっと生きてくのは嫌か?」
 高耶は力無く首を振る。どこか寂しそうな笑顔が、千秋を見返した。
「……そんなことない。直江がずっと一緒なら……」


 でも、直江は人間だから……。


「あ、千秋。小太郎も診てやってくれないか? 少し火傷してたみたいなんだ」
 後ろを振り向いて小太郎を捜すが、さっきまで寝ていたところには見あたらない。
「……あれ? 小太郎?」
 うろうろとあちこち捜し歩いて、裏口がほんの少しだけ開いていることに気がつく。
「小太郎?」
 裏口を出てすぐのところに、小太郎はいた。だが、いつものように応える鳴き声は返ってこない。
(……あ……)
 草の上に横たわる小太郎の身体を抱き上げて、そっと頬ずりする。
「どうした?」
 後ろから顔を出した千秋が尋ねると、静かな声で高耶は言った。
「……小太郎。死んだ」
「火傷、酷かったのか?」
「違う。……寿命だ」
 もう冷たくなりかけている小太郎の頭を愛しげに撫でる高耶を、千秋は見つめておもむろに尋ねた。
「……もうすぐ死ぬってことを、知ってたのか?」
「……知って?」
 高耶の表情が、僅かに痛そうに歪められる。
「……当たり前だろ。これでも医療用だぞ」


 命のあるものは、いつか必ず死を迎える。
 小太郎も、千秋も。−−そして、直江も。


 不吉な考えを振り払うように二、三度頭を振り、高耶は小太郎の亡骸を抱えて立ちあがった。
「どこ行くんだ?」
「……お墓、作ってくる。−−千秋。小太郎が死んだこと、直江に言わないでいてくれるか?」
「……いいけど、なんで?」
「直江が悲しむだろ。火事騒ぎでいなくなったことにしといてくれ」
「……死んでもいなくなっても、悲しいのには変わりないと思うけどな」
 高耶は答えずに、裏口からそっと外へ出ていった。それから三十分ほどして、直江が買い出しから帰ってきた。室内を見回して、高耶がいないことに眉をひそめる。
「千秋。高耶さんは?」
「外だよ」
 その答えに直江は眉根に深い皺を寄せた。
「もう暗くなったのに。まだ連中がいるかもしれないんだぞ」
 乱暴に荷物を置くと、くるりときびすを返して高耶を連れ戻しに行こうとするのを、後ろから呼び止める。
「直江」
「なんだ?」
 何か言おうと口を開きかけたが、少しの間考えてから、千秋は目を伏せて首を振った。
「……なんでもねぇ」
 不審な態度に直江は首を傾げたが、彼にとっては高耶の方が優先すべき事柄だったので、さして気にも止めずに外に出ていった。その後ろ姿を見送りながら、千秋は深々と溜め息をついた。





  というわけで、以前は「いたち茶屋」さんの方でUPしていただいていた作品を再UPです。

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