アンドロイドは愛しい人の夢をみるか? 2
永遠にずっと



Written by とらこ  



「後編」


 三人で顔をつきあわせながら食事をしている間、高耶も直江も一言も口をきかなかった。
 直江を深く傷つけてしまったことを、高耶は鋭く感じ取っていた。なにを言ったらいいのかわからず、エネルギーパックをちゅるちゅると飲みながら必死に考えていたが、結局何も良い考えは思いつかなかった。これまで、一度も感じたことのない直江との深い隔たりにがっくりと肩を落としながら、高耶は自分に与えられた部屋に戻る。


 人間とロボット。
 両者のあいだには、やはり深くて長い川とやらがあるのだろうか?
 自分は所詮機械だから、直江の心を理解できないのだろうか?
 この気持ちが伝わることは、ないのだろうか?


 ようやく救い出したマスターの写真を見つめながら、高耶は答えのでないことをとりとめもなく考え続けていた……。



 その頃、直江は沈黙したまま千秋と食後のコーヒーを飲んでいた。
「直江。昼間のことだけどよ」
「なんだ?」
「黒い獣を連れた女の子って言ってたよな?」
 考え込むような口調で問いかける。
「そうだ。自分で山神と名乗っていた。何か知っているのか?」
 あの少女は尋常ではなかった。あの力から高耶を護るために、ささいなことでも知っておきたい。
「……そっか。じゃあそれは一向宗の守り神みたいなもんだな。生まれながらにして超能力を持った巫女の家系の守り神がいるって聞いたことがある。連中は獣の声を聞き、必ず黒い獣を従えてる」
「……超能力」
「って言っても、なんでもかんでもできるってわけでもないらしい。自然の一部。つまり、水とか風とかを自由に操れる程度らしいけどな。お前らが会った子は炎を操るらしいな」
 その程度、で済ませられるようなものではない。と直江は声には出さずに思った。どうすれば、高耶を護りきることができるのか。深く考え込んで俯いていると、千秋が呆れたように言った。
「……そんなに大事にしてるくせに、なんであんな顔させるんだ?」
 さっきの高耶の寂しそうな顔といったら。見ているこっちまで胸が詰まりそうになってしまった。
「……わかっている。でも、どうしたらいいのか、私にもわからないんだ」
 高耶にとって、やっぱり昔のマスターが一番で本当は直江のことなんて、どうでもいいのかもしれない。そんなことを考え始めると止まらなくなって、どうしたらいいかわからなくなる。
 千秋は呆れたように男の顔を見やる。
「だいたいさぁ、置いていくより置いていかれるほうがつらいんだぜ? それをわかっててあいつはここにいるんだぜ?」
 それが、何よりも確かな答えではないのか?

 
 小太郎が死んだこと、黙っててくれ。


 いなくなったらそりゃぁ寂しいけど、もしかしたら帰ってくるかもと思うだろ?


 死んじゃったら、永遠に置いてきぼりだ。

 
 千秋。
 オレは先にいかれるのはもう嫌だな。
 

 寂しいな。


「……小太郎、死んだぜ」
(……悪りぃな、高耶)
 高耶に口止めされていたが、千秋は内心で謝りながらそれを口にした。
「……っっ!」
「寿命だ。さっき、高耶が外に出てたろ? 小太郎の墓をつくりに行ってたんだぜ」
 直江は呆然と千秋を見つめた。
「……小太郎。まさか死ぬなんて……」
「……先に死ぬって、わかってて愛してたんだろ?」
「……そのつもり、だった。でも、どこかでウチの猫は死なないと思ってたんだ」
 誰もが思う幻想。
 でも、現実はそれを簡単に打ち壊す。
「いつかは死ぬ。それが別れってもんだろ」
 例外は、ない。
 人間である直江はいつか死に、高耶はひとりで取り残される。
 そのとき、高耶の中に生まれる苦しみと悲しみは、こんなものではないだろう。
 しかも二度目となれば、なおさらだ。
 それを痛いくらい知っているのに、彼は直江の側にいてくれる。
「高耶さん……」
 直江が呆然と呟いた時だった。
 近くで何かが爆発したような轟音と振動が起こったのは。
 天井の明かりがびりびりと音をたてて、二、三度点滅するとふっとかき消えてしまった。暗闇の中で、千秋が舌打ちする。
「発電室の方だ。見てくる!」
 手探りで机の中から懐中電灯を取りだし、闇に包まれた廊下を駆けだしていった。
 部屋にいた高耶はいきなり明かりが消えたことに異変を感じ取って、ドアを開けて廊下に出た。
 こんなことをするのは誰なのか、考えなくともわかりきっている。
 あの山神の少女だ。
(高耶さんが危ない!)
 直江は手探りで廊下へ出て、大きな声で叫んだ。
「高耶さん! どこですか!? こっちに来て!」
 あの力にどうやって対抗したらいいのか、まだ皆目見当もつかない。だが、黙っているわけにはいかない。
「直江!」 
 闇に視界が慣れてくると、壁づたいに高耶がこちらに来るのが見えた。
「こっちです。高耶さん」
 お互いに手を伸ばしあい、もう少しで触れそうになった瞬間−−
 バチン、と何もないところから突然火花が弾け、あっというまに大きな炎になって二人の間を隔てた。
「うわ……っ!」
「直江!」
 炎の中を割ってでもこちらに来ようとする高耶を鋭い声で制する。
「駄目です! 危ない!」
 熱風に煽られて目を庇うように細められた視界に、昼間の少女が忽然と姿を見せた。やはり黒い獣も一緒だが、他の人影はない。
「また来たんですか。懲りないですね」
 怒りを帯びた直江の言葉を、鼻先で笑ってあしらう。
「懲りないのはそっちの方でしょ。−−しかたないから、手首をもらうわ」
 何を、と問い返す前に、右の手首に鋭い痛みが走った。
 本当に、一瞬の出来事だった。
 痛みと共に手首が綺麗に切り落とされて、ごとりと床に落ちた。勢いよく吹き出す血とあまりの激痛に一瞬声が詰まり、直江は目を見開いてうずくまった。
「直江ぇ−−ッッ!」
 絶叫してこちらに駆け寄ろうとする高耶を、首を横に振って制する。
「……あぶないから、来てはいけません!」
「でも! 直江! −−なんてことするんだ! 人でなし!」
 悲鳴のような高耶の声には耳を貸さず、少女は直江の血まみれの手首を拾い上げた。
「うふふふ。もらったわよ」
 それを持ったまま、今度は炎の向こうにいる高耶の方に向き直る。
「切られた手を元通りにくっつけるには、十七時間以内に手術しないと駄目なんでしょ? そう聞いたわ」
 山神の口元が、残酷な笑みを刻む。
「元通りにしたいなら、取りに来れば?」
 明らかな、挑発。
「あたしたち、オアフ島の支部にいるわよ。TO723。取り返しにきなさい。そしたらあんたなんか、つかまえてスクラップにしてやるわ」
「く……っ!」
 あまりのくやしさに、高耶はきつく唇を噛みしめる。
「手を返せ! 直江には関係ないじゃないか!」
(オレを壊したいんだろう! なのに……なんで!)
「許さねぇ! なんでこんなことするんだ!」
「なんでって? 面白いからよ! −−許さないって何よ? あんたなんかに何ができるっていうの? 旧式のロボットのくせに」
 その場に座り込んでしまった高耶を、山神は心底楽しそうに見つめた。
「待ってるわ。TO723。この手はあんたと引き替えよ」
 山神は耳障りな甲高い笑い声を残して、そこから立ち去った。
 焼け落ちた家と、深く傷ついた二人を残して……。


*  *


  数分後、遅れて駆けつけた千秋が高耶と一緒に直江を診療所の方に運び込み、緊急手術を行った。局部麻酔のおかげで痛みは感じなくなったが、大量に血を失ったせいでひどく顔色が悪い。ぐったりした直江を見て手を動かしながら、千秋は深い溜め息をついた。
「ったく。人の家まで燃やしやがって。とっさに防火シャッター下ろしたから診療所の方は無事だったけどな」
 ぼやく千秋の向かい側に、直江をはさんで立っている高耶は心配そうに直江を見つめている。
「直江……」
「大丈夫です。もう、痛くないですから」
 高耶の悲しそうな顔に、直江は殊更平気な風を装うが、蒼白な顔色だけはいかんともしがたい。
 黙っていられずに、高耶は身を乗り出して千秋に問うた。
「千秋。直江の手は!?」
「あー、確かに十七時間以内ならくっつくぜ。でも、それ以上経つと細胞が死んじまうから駄目だな」
 高耶の唇がきつく噛みしめられるのを見て、直江がその胸中を察したように釘を刺す。
「変な気は起こさないでください。警察に連絡します。手は取り戻しますから、貴方が行く必要はない」
 高耶はこくりと頷いた。
 その場だけは−−
(十七時間なんて、警察はきっと間に合わない)
 高耶は神妙な面持ちで手術している傍から離れて、ドアを開けて廊下へ出た。幸いにして、直江と千秋は気が付かなかったようだ。
 ごそごそと懐を探り、取りだした古い写真を高耶はしばらくの間見つめていた。
 大好きなマスターの、たった一枚の写真。
 でも、このために直江を傷つけてしまった。
 ずっと優しくしてくれた。
 ずっと、傍にいてくれたのに。
 挙げ句の果てには−−
(……オレのために、あんなことになってしまった……)
 いつも優しく包み込んでくれた。頭を撫でて、抱き締めてくれた暖かい手。
「……行かなきゃ」
(……マスター。ごめんなさい)
 ぎゅっと目をつぶって、ひと思いに写真を破り捨てた。
 マスターが大切だという思いに、嘘はない。
 でも、今傍にいてくれて、一番好きなのは直江だから……。
 彼の手を、取り戻さなくては。
(あと十五時間半……!)
「きっと小太郎が護ってくれる」
 高耶は振り返らずに歩き出した……。


*  *


 「よっしゃ! OKだ。右手動かしてみろ」
 手術を終えて開口一番にそう言った千秋の言葉に、直江はとっさに反応できずに目をしばたかせた。
「な、にを言ってるんだ? 私は右手を……」
「だーかーら! 動かしてみろ」
 千秋が右手を覆い隠していた白い布を取り払うと、自分の右手があったところに黒い人工の義手が取り付けられていた。千秋はこれを動かしてみろと言ったのだ。
「こ、れは……?」
 あまりにも異様な黒い手に少し驚きながら問いかける。
「昔、軍用に俺様が開発した義手だよ。即席だけど高けーんだぜ。感謝しろ」
 気持ちが悪かったが、直江はあえて口には出さない。千秋の言うとおりに指を動かそうとしてみるが、ギギと機械が軋む小さな音だけがして、上手く動かすことができない。
「動かねーだろ? 人間が無意識にする動作をすべて機械で制御しようとすりゃぁ、この家よりでけぇコンピュータが必要だな。生身の身体ってのはそんぐらい複雑なんだよ」
 もったいぶった講釈をしながら、煙草に火をつけてにやりと笑う。
「でも、これのすげぇところは緻密な動きなんかじゃねぇんだ。人の神経から来る命令信号を瞬時にキャッチして、冷却する機能がついてるとこなんだ」
「……冷却?」
「そ。まぁ、炎に対抗して、氷の手とでも呼んでもらおっかな」
 まだ信じられない様子の直江をみて、千秋は手にしていた火のついた煙草を黒い手のひらに置いた。
「温度、下げてみな」
 駄目でもともと。直江は半信半疑で凍れ、と命じてみた。
 すると、またたくまに煙草の火が消えて、凍りついてしまったではないか。凍った煙草は指が動いたわずかな衝撃で、ぱらぱらと乾いた音をたてて崩れてしまった。
 耳元で千秋がダイナモがどうのとまだ講釈をたれていたが、直江にはもう聞こえていなかった。
(これなら、あの山神に対抗できるかも知れない……)
 

 高耶の姿がないことに二人が気が付いたのは、それから少し後のことだった。
 一向宗の連中がどこにいるかわからない。千秋の焼け落ちた家の周囲を隈無く捜し歩く。
「……どこに行ったんだ?」
 不安を押さえきれずに直江が小さく呟いた時、千秋は風に飛ばされそうになりながら、瓦礫にひっかかっている紙片に気が付いた。何気なくつまみあげてみる。
「……なんだ、コレ?」
 色褪せた古い古い写真は、真ん中の辺りから無惨に破れていた。写っている穏やかな顔の老人に、千秋は見覚えがあった。
 以前に高耶が嬉しそうに見せてくれた、四百年前のマスターの写真。
(……あ〜あ。こんなにしちまって)
「……おい。これ、あいつの大事な写真じゃねーのか?」
 直江の鼻先に、拾った写真を突きつける。
「……っ!」
 直江は一瞬息を飲み、そしてすぐにやりきれない面持ちになってそれを手に取った。
「……私が、破らせてしまった」
 四百年も前に死んでしまった老人に嫉妬して、高耶をいたずらに苦しめた。
(……高耶さんが私を好きだなんて、わかっていたはずなのに)
 彼を独占したいばかりに、うだうだと拘っていたから。
「……わかってると思うけど、あいつ、お前の手を取り戻しに行ったんだぜ? どうするんだ?」
「もちろん、無事に連れ戻す。高耶さんを失う事なんてできない」
「……セックスもできないのに、好きなのか?」
 男としては当然の疑問を、千秋は口にした。直江は薄く笑ってそれに答える。
「……できるさ」
 驚いた千秋が、くわえようとしていた煙草を取り落とす。
「嘘だろ? んな機能ついてんのかよ」
「そんなことじゃない」
「はん? じゃあなんだってんだよ?」
 皆目見当もつかない千秋は鼻で笑うような口調で尋ねた。
 直江は愛しい高耶の笑顔を思い浮かべながら、夜空を見上げて答えた。
「手をつないで、抱き締めるんだ。優しいキスをして、一緒に眠る……」
 千秋はしばしのあいだ呆れて何も言えず、深い溜め息をついた。
「……激馬鹿プラトニック?」
「いいんだ。あの人が私のことを好きでいてくれるだけで。……そばにいてくれるだけで」
 それだけで、満たされる。
 −−だから、決して失うわけにはいかない。


*  *


  一向宗のオアフ島支部は火山岩の塀に囲まれた大きな建物だった。
 夜の闇に紛れて近づいた高耶は、人気の少ない裏側の壁を乗り越えて中に侵入を果たした。機械を嫌う連中の主義が逆に幸いして警報装置も監視カメラも一切ない。かなり奥まで、誰にも気づかれずに入ることができた。
(……あの子の部屋を捜さなきゃ)
 黒い獣を連れた、山神と呼ばれる少女。
 かなり奥まったところまで来たとき、かすかに獣の呻るような声が聞こえた。その声がする方へ近づいていくと、入り口に見張りらしき男が立つドアを見つけた。
(……あそこだ!)
 幸いなことに他の人影は見あたらない。高耶は身を隠していた曲がり角から飛び出して、男の口を塞いだ。そしてすぐさま、首筋に即効性の麻酔を打ち込む。声を上げる暇もなくくたりと崩れ落ちた男の身体を、座って居眠りしているかのように壁に寄りかからせて、そっと室内に足を踏み入れる。
 入ってすぐの部屋には誰もいない。もうひとつ奥の部屋から、子供の声と獣の鳴き声がした。
「ねぇ、ミホト。あのロボット早くこないかな? ずるいよね。自分ばっかり年を取らないなんて」
 そっと覗き込むと、あの少女が黒い獣の首にしがみついて座っていた。
「あたし、大人になりたくない。大人になったらミホトと話ができなくなるかもしれないんだって。そんなの嫌よ。この力も、なくしたくない……」
 ぐる、と獣が呻って鼻をすりつける。
「……あの男、手だけじゃなくて足も取っちゃえばよかったかしら?」
 その言葉に高耶は思わずかっとなって身じろぎしてしまった。かたん、と小さな物音が生まれて、獣がぴくりと顔をあげる。
 グゥルルル。
 姿が見えなくても、侵入者の気配に気が付いた獣が警戒して身体を強張らせる。
「どうしたの、ミホト? ……っっ! お前はッッ!」
 もはや隠れることを放棄して入り口に立った高耶をみて、ミホは驚いて立ちあがった。
「直江の手、返してくれ!」
「……驚いた……。ほんとに来るなんて」
 自分から死地に飛び込んできた愚かさを嘲笑うように、山神の口元が歪む。片手を突き出して高耶を牽制しながら、室内に置かれていた黒い鉄の箱に近づいた。
「この中よ。あの人間の手は、ここに入ってる。−−でも、あたしが持ってるこのカードキーがないと開かないの」
 これみよがしに手にしたカードを見せつける。 
「そのカードも、直江の手も渡してくれ。……頼むから……っ」
 一歩前に踏み出した高耶の目の前で、バチンと火花が散った。驚いて止まった彼の足元が、一瞬のうちに消失する。
「……っっ!」
 音もなく口を開いた床の穴に吸い込まれるように高耶は落下した。さほど高さはないが、背中から激しく叩きつけられて、一瞬身動きができなくなる。
「……う……」
 衝撃から身体の機能が回復すると、高耶は素早く身を起こして周囲を見回した。
 何か、いる。
 ぞわりと肌を撫でる殺気と、鼻につく獣の臭気。
 暗い闇の中で、いくつもの赤い目がこちらを睨んでいる。
「そこにいるのはミホトの仲間達よ。だいぶ餌をあげてないから、気が立ってるみたい。−−ああ。でもロボットだから食べれないか」
 くすくすと笑う声が頭上から降ってくる。
 確かに、身体の大半が機械の上に、内臓や皮膚も人工物である高耶を食べることはできない。
 −−でも、その鋭い爪と牙で、引き裂くことは容易だろう。
 視界に映る熱源は三体。そのうちのひとつが、のそりと高耶の方へ足を踏み出してくる。
 ごくり、と息を飲み、高耶はじりじりと後ずさるが、背後は冷たい土の壁。
 逃げ道は、どこにもなかった。


*  *


  その頃、直江はようやく一向宗のオアフ島支部の前に来ていた。
 不気味なほど穏やかな空気に包まれたそこには、先に来ているであろう高耶が侵入した形跡は何もなかった。
(……まさか、もう壊されてどこかに捨てられてしまったのでは……っ!?)
 あまりの静けさに不安すら覚えて、直江は唇を噛みしめる。
「高耶さん……っ!」
 募る焦りと怒りのままに、目の前の閉ざされた鉄の門をつかんだ。
 瞬時に凍りついてしまったそれを軽く揺すっただけで、衝撃に耐えきれずに粉々に砕け散った。甲高い破壊音が周囲の静けさを引き裂き、人々のざわめきと足音が近づいてくる。
「何事だっ!?」「侵入者だ!」
 敷地に踏み込んだ直江を取り囲むように人垣ができる。殺気に満ちた人々は手に手に武器を持っているが、しゅうしゅうと音をたてながら、冷たい冷気を発する直江の異様な手を警戒して、襲いかかってこない。その内、一人の男が直江の顔を見てあっと声をあげる。
「貴様は……ッッ!」
「そこをどけ。−−高耶さんを、返してもらいます」
 それを聞いて、驚いたのは男の方だった。
「あのロボットが来ているのか!」
「山神!」
「山神のところだ! あの方を守れ!」
 人垣が崩れて、奥へ走り出す。
(まだ、大丈夫だ……!)
 高耶の強運に感謝したくなる。
 そうとなれば、この連中をひとりたりとも奥へ行かせるわけにはいかない。
「行かせない……!」
 直江が命じるままに凍気が手のひらから迸る。奥へ行きかけた男達の足が瞬時に凍りついて、その場から動けなくなってしまった。 「邪魔をすれば心臓を凍らせる。−−さぁ、どくんだ!」
 直江の恫喝に、人々は悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げてゆく。


 私の手を、返して欲しい。
 どんな力がなくても、器用に動くあの手を−−
 あの人との想い出の間についた傷までも愛おしい、あの手を−−



*  *


  地下に落とした高耶の様子を、炎で明かりをつくりながら眺めていた山神は、外の騒がしい足音や悲鳴に顔を上げた。
「うるさいわねぇ。何やってるのかしら?」
 気にはなるが、わざわざ見に行くほどの気持ちも起こらず、山神は再び地下を覗く小窓に視線を戻した。が、その光景はほんの数十秒前のものと違っていた。高耶を追いつめ、思うままに嬲っていた三匹の獣達がみんな倒れて転がっており、肝心の高耶の姿がないではないか。
「どこに行ったの!?」
 訝しげに呟いて唇を噛みしめたとき−−
 開いたままの床の穴から、白いワイヤーがしゅるりと伸びてきて、近くの柱にくるりと巻き付いた。高耶の手首から伸びているものだと、すぐにわかった。
「させないっ!」
 山神の炎がそれを断ち切る前に、高耶はワイヤーを巻き戻す力を利用して上まで昇りきった。床に降りたところをすかさずミホトが牙を剥いて襲いかかる。高耶の左腕に噛みついてそのまま噛み千切ろうとするが、首筋に麻酔を打ち込まれて、くたりと床に崩れ落ちてしまった。
「ミホト!」
 山神は悲鳴じみた声で呼んだが、もはや答えない。
「殺してはいない。少し眠ってもらっただけだ」
 下の三匹も同様だったが、さすがの高耶も満身創痍になっていた。人工皮膚を爪や牙で切り裂かれ、血まみれで酷い格好だ。その上、先程ミホトに噛まれたせいで左腕が上手く動かせない。どうやら、神経の役割を果たす部分を傷つけられてしまったらしい。
 それでも、高耶は山神に向かって手を伸ばした。
「直江の手、返してくれ」
「いやよ! こないで!」
(……なんなの、こいつ)
 山神は気圧されるようにじりじりと後退していく。
「……カードキーを……っ」
「……いや……」
「キーを、渡してくれ!」
「いやよ!」
 ボン、という音をたてて空中から生まれた炎が、一瞬のうちに高耶を包み込む。
「……ッ!」
 両腕で顔を庇い、苦しみながらも高耶は諦めない。
「キーを寄こせ!」
「……いや……ッ!」
 山神はこのロボットに初めて恐怖という感情を覚えた。
 他人のためにここまでする者なんて、人間にはいない。
 何が、彼をこんなに突き動かしているのか、彼女には理解できなかった。
「高耶さん!」
 ここにいるはずのない直江の声に、高耶ははっと顔を上げた。紛れもない本人を入り口に見つけると、苦しいながらも笑顔を見せようとする。
「直江! 動いてもいいのか? 身体は平気なのか?」
 自分は炎に包まれて苦しんでいるというのに、こんな時まで直江を気遣う高耶がたまらなく愛おしい。
「貴方の方こそ、燃えてるじゃないですか! −−待って。今すぐに消してあげる」
 ごうごうと唸りをあげる炎を恐れることなく、黒い右手で高耶を引き寄せて腕の中に抱き締めた。急速に高められた冷気が炎をうち消し、しゅうしゅうと水蒸気の煙が立ちこめる。
「高耶さん。大丈夫ですかっ?」
「……う、ん……」
 力尽きた高耶は、直江の胸にすがりついて倒れ込む。
「……ごめん、直江。……まだ、手が……」
 取り戻せていない。
 こんなにぼろぼろになってまで、直江の手を取り戻そうとしてくれた高耶が痛ましい。同時に、彼をこんな目に遭わせた山神への怒りがこみ上げてきて、直江はきつい眼差しで少女を睨みつけた。
「子供だからといって容赦はしませんよ。この人を傷つけた報いは、受けてもらいます」
 びくりと肩を震わせた山神の周囲で、冷気が立ち上る。壁際に置かれていた花瓶が耐えきれずに破裂して、山神は弾かれたように悲鳴をあげた。
「きゃああぁっっ!」
 人の良心に訴えるか弱い悲鳴だったが、直江は気に止める様子もない。
「……な、直江。駄目だ。落ち着いて……」
 高耶の言葉に直江はわずかに眉を顰めたが、ほんの少しだけ冷気を緩めた。
「さぁ、そのキーをよこしなさい」
 一歩、前に踏み出す。
「いやぁ! 来ないでぇ……ッ!」
 今まで絶対だった自分の力が通用しない相手に、山神は恐慌をきたしていた。叫ぶのと同時に二人の目の前に炎を生み出すと、転がるようにどこかに逃げ去ってしまった。直江が発した冷気が炎を鎮めた頃には、山神の影も形もなかった。
 彼女の山神としての権威は地に落ちた。おそらくもう、彼女は山神として人々の前に立つことはできないだろう。
「……かわいそうなことをしてしまった……」
 少し悲しそうに高耶が呟くと、直江はとんでもないとでもいうように眉を上げた。
「いい薬ですよ。あの子供にとっては」
「でも、あの子の心を傷つけてしまった……。オレは人を癒すために生まれたのに……」


 人の役に立つために
 愛するために
 許すために
 護るために、生まれた−−


「それは少し違いますね」
「は?」
「貴方は、私のために生まれたんですよ。きっと」
 そう言って、直江は高耶をきつく抱き締めた。
「馬鹿! 直江っ。こんなことしてる場合じゃないだろっ。……お前の手をっ」
 直江の腕から逃れ、黒い鉄の箱に駆け寄る。が、カードキーは山神が持ったまま行ってしまった。
「……どうする?」
「このぐらいなら、手を傷つけずに壊せますよ」
 そう言って直江が黒い氷の手で箱に触れると、表面がさっと白く凍りついた。バリン、と割れた上から腕を差し入れて、白い布に包まれた生身の手を取り出す。一応冷凍保存はされていたらしく、高耶はほっと息をついた。
「……すっかり汚れてしまいましたね。早く家に帰りましょう」
 直江の鳶色の瞳が、高耶を映して穏やかに微笑む。
「うん!」
 高耶は、満面の笑みで頷いた。 


 直江。
 ずっと一緒にいよう。


 たとえいつかいなくなるとしても
 ずっと一緒にいよう。


 いつまでも、愛していよう。
 人間のように−−
 ロボットのように−−

 

END  
 



 ようやく終わりました〜〜! ちゃんとラブラブしてる?(どきどき)
 「アンドロイドは愛しい人の夢を見るか?」の続きで「永遠にずっと……」の後編でした。二本に収まってよかった……。
 今回はちょっとキャラが増えたのでなかなか大変でした。千秋は結構いい役なのに、綾ちゃんはほんとに少しでしたね。(ごめんね〜〜)一向宗の守り神、これは頼竜にしようかな〜とちょっと思ったんですが、やっぱ女の子にしたかったので、ミホに登場してもらいました。ミホにしといてよかった……。頼竜だったら全然話が違ってただろうな。あ! 忘れちゃいけないのは猫の小太郎! 小太郎FANの皆様ごめんなさい〜〜と平謝りしておきます。でも、大切なシーンなので、省きたくなかったんです。
 残されてしまう人の気持ちって、ほんとに苦しくて痛いですよね。人は勿論、動物でもそれは同じ事だと思います。愛していた分だけ、痛みは大きいから……。
 つらい未来が待っているとしても、それを耐えていけるだけの愛と想い出をこの高耶さんにあげて欲しいなと自分で思ってしまいました。
 お目汚しでしたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました!

というわけで、以前は「いたち茶屋」さんの方でUPしていただいていた作品を再UPです。
 ぬ〜ん。我ながら恥ずかしいコメントだぁ……;;

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