今、ここにいること

 
Written by とらこ


第一話


 喧嘩の原因は何だったのか、それさえも夢中で言い争っているうちに忘れてしまうほど、そんな些細なことだった。
 意地を張って引っ込みがつかないぐらいの言い争いになり、マンションを飛び出したのはほんの一時間前のこと。
 ようやく闇戦国が終結し、元通りの平穏な生活に戻って二年が過ぎようとしている。大学に入り、直江と同居し始めてから約一年。このごろはこんなつまらない喧嘩はしょっちゅうだった。
 バイトや勉強、そして仕事に忙しい日々の中で、お互いの生活だけではなくて、心まですれ違っている。
 高耶はそう感じ取り、イライラして喧嘩のたびについつい感情的になってしまう。
 わざわざ言葉にしなくても、通じていた心。
 −−なのに。
 今はそれがない。
(……これが、オレ達の限界……なのかな?)
 四百年という長い長い時間の中を生きながら、憎しみながらも互いを求めあい、いつもギリギリのところでせめぎ合っていた。かなり異常な状況の中で互いの心を確かめ、結びついていた自覚が高耶にはあった。
 直江にとっては、今の穏やかで普通な生活の中にいる高耶は、何一つ心を惹きつけるもののない存在になってしまったのかも知れない。
 −−それに、もしかしたら……
 もう、他の誰かに心を移してしまったから、邪魔なのかも……。
 そう考えると、気が狂いそうになる。
「……直江の、ばかやろう……」
 行き場のない思いを小さな罵声に変えて、また一歩踏み出した瞬間−−
 眩しいライトがいきなり目を灼き、とっさに片手で顔を覆って立ちつくしてしまう。
 車だ。
 そう思ったが、とっさに躰が動かない。
 耳をつんざく激しいクラクション。
 −−そして、体を叩きつける衝撃。
(直江−−!)


*  *


 その夜は、夏にしては冷たい雨が降っていた。
 直江は与えられた部屋の窓から、飽くことなく外の闇を眺めながら人知れずため息をついた。
 橘義明という名の、この宿体に換生して10年と少し。景虎は見つからず、先の見えない未来に絶望して発作的に手首を切ったのは、ついひと月ほど前のことだった。危ういところを発見され、大事には至らなかったが、それから直江は生ける屍のような有様になった。
 体の傷は癒えても、精神を苛む絶望は決して消えない。
 あれからも何度か死の誘惑にかられたが、そのたびに父が何度も言い聞かせた言葉を思い出した。


『お前がここにいるのには、かならず何かの意味があるからだ』


 自分が今、ここに生きている意味。
 直江は、それを捜している……。



 直江は今、仙台市にいる父の友人で、国領という人の寺に預けられていた。
 少しづつだが回復を見せはじめた末の息子に父は、
「彼からは、何かしらお前が学ぶべきものがあるはずだ」
 そう言って送り出した。
 しかし、ここへ来て一週間になるが、国領は説教めいたことを言うわけでもなく、ごくごく普通に直江と接するだけだった。しかし、一緒に朝の勤行をしたり、そんなたあいのない日常の中で、ぽつりぽつりと国領がくれた言葉が直江の心に残り、いつしか死への願望は薄くなりつつあった。
 しかし、まだ動けない。
 まだ心の奥底に眠る、消えることのない疑念と絶望が、時折ふと首をもたげる。
(……もう少し……もう少しなんだ)
 己の存在を肯定する意味が知りたい。そして、強さが欲しい。
 己の弱さに負けない強さが。
 闇の中に浮かぶ景虎の幻影を振り切るように、窓の外から視線を外そうとしたその時−−
 ばしゃり、と大きな水音が直江の耳を打った。
(泥棒……?)
 まさかと思いながら窓の外へ目線を戻した直江が見たものは、中庭の真ん中に倒れ伏している人の姿だった。
「−−−−ッ!」
 一体どこから現れたのか、そんなことを考えるよりも先に体が動いた。縁側の窓を開けて外へ飛び出し、倒れている人の傍に駆け寄る。暗い中で顔はよくわからないが、高校生ぐらいだろうか。ぐったりとして意識はないが、外傷はないようだった。
 真っ青になったその横顔を見た瞬間、直江はまるで雷にでも撃たれたかのように一瞬びくりと体を強張らせ、双眸を大きく見開いた。
「……景、虎様……!?」 






 100000HITの桜井さんのリク作品をお届けいたします。
 少年の直江。初の試みでなんだか楽しいです〜v



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