今、ここにいること

 
Written by とらこ


第二話


 高耶が目を覚ましたとき、一番最初に目に入ったのは見たこともない天井だった。マンションでも病院でもありえない、木のいい匂いがする。
(……ここ、どこだ……?)
 訳が分からずに混乱したまま、何気なく上体を起こそうとすると、身体中に鈍い痛みが走った。
「…………っ!」
 低く呻いて、手が布団の上で身じろいだ瞬間、指先が何か柔らかいものに触れた。
 人の髪の毛だ。
 誰だ、と問う前に鳶色の特徴的な髪の色が目に入る。
(……直江……)
 不思議な安堵がこみ上げてくるのと同時に、意識を失う前の自分の身に起こったことを朧げに思い出した。
 直江と喧嘩をしてマンションを飛び出し、フラフラしているところを車に跳ねられた。……というより、跳ねられかけたというところか。見たところたいした怪我もなく、打ち身程度のところを見るとそうらしい。
「……にしても、ここは一体……?」
 病院でもなく、マンションでもないとなれば高耶には見当もつかない。誰にともなくひとりごちて息をついた時、布団の上で鳶色の髪がふいに揺れた。どうやら目を覚ましたらしい。
「おい。ここは……ッ!」
 ゆっくりと顔を上げた彼に向かって投げた言葉が、息を飲んで途切れる。直江だとばかり思っていたその人物が、まだどこか幼さの残る少年だったからだ。しかも、ただの少年ではない。その顔立ちの面影といい、その魂といい、直江そのものだったから、高耶は尚一層驚いた。
「……気がつきましたか」
 少年らしくない、落ち着き払った声の問いかけに高耶はとっさに答えることができない。
(なんだこれ……!? 何がどうなってんだ!?)
 混乱している高耶の顔は真っ青で、少年はまだ具合が悪いものと思ったらしい。心配そうにこちらを覗き込んできた。
「大丈夫ですか? 昨夜、貴方はこの家の庭先に倒れていたんですよ。覚えていますか?」
「え……? あ……ここ、は……?」
 ようやくそれだけ絞り出した言葉が、かすかに震える。
「ここは慈光寺というお寺です」
(慈光寺……!? 仙台の……!?)
 聞き覚えのある寺の名前に、またしても驚愕が走る。仙台の事件で世話になった国領が住職を務める寺が、慈光寺だった。
 何故自分は仙台にいるのか。この直江に似た、直江そのものの魂を持つ少年は一体何なのか。
 パニックに陥った高耶の彷徨う視界に、ふと壁にかかったカレンダーが映った。
「−−−−ッ!」
 その日付は高耶が知っている現在よりも、十年以上過去のものだった。
 その衝撃が、決定的だった。
 理解しきれない事態に思考がついてゆけず、再び視界がブラックアウトする……。
「あ……っ!」
 少年が手を伸ばして支えるよりも早く、高耶の体はかくんと力を失って布団の上に崩れ落ちた。


*  *


 雨の中で倒れている彼を見た瞬間、自分の魂が激しく反応した。
 今まで一度も見違えたことのない、本能の確証。
 彼だ。
 景虎だと思った。
 ぐったりと青い顔をして横たわる彼を必死になって家の中に引きずり上げたのは、彼を助けたい一心でのこと。
 もう二度と景虎を失いたくないという想いが、直江を突き動かした。
 −−しかし、一夜明けて目覚めた彼を見て、直江は苦い失望を感じた。
 あの時の景虎の魂の状態からして、胎児換生しているはずだ。それに対して、彼は年齢が違いすぎる。
(……あの人じゃ、ない……)
 でも、魂の感じがよく似ている。
 だから、なのだろうか?
 失望したのにもかかわらず、彼の傍らにいると不思議に心が落ち着いた。
 布団の端からはみだした手を握りしめたその時、背後の襖がからりと開いた。そして、初老の住職−−国領が顔を出した。
「義明。その人の様子はどうだ?」
「一度目を覚ましたんですが……。まだ具合が悪いらしくて、意識を失ってしまいました」
「そうか。さっき医者に電話をしておいた。もうすぐ来てくれるだろう。−−さあ、お前は居間にいって食事をしてこい。彼の様子は儂が見ていよう」 
 直江を気遣ってくれての国領の言葉だったが、しかし直江は首を横に振った。
「いいえ。ここにいたいんです」
「……そうか」
 直江が誰か他人に興味を示す、というか、自分から傍にいたがるのを国領は初めて目にする。彼の父から聞いた色々な話にも、そんな人間はいなかった。
 他人を拒絶し、自分自身さえ拒絶してきた彼がそんなことを言い出すなんて。だが、国領の目にはそれがとても好ましく思われた。
 これを機会に少しづつ心を開いてゆければいい。彼の家族のためにも、彼自身のためにも。
「では、食事をここへ運ぼうか?」
「いいえ。今はいりません」
 にべもない返事に国領はそっと息をつき、そのまま何も言わずに部屋を出ていった。
 拒絶、というよりは、今はあの青年の傍にいたいという強い願いを感じる言葉だった。
 ひょっとすると、本当にこの事が義明にとってのよい契機になるかも知れない。
 国領は己の予感が正しいことを、願わずにはいられなかった……。






 100000HITの桜井さんのリク作品、第二話をお届けいたします。
 なんだか今回の高耶さんも影薄いなぁ;;



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