今、ここにいること
Written by とらこ
第三話 それから一時間ほどして医者が国領の家を訪れた時、高耶は再び目を覚ました。 先ほどのようなひどい混乱こそなかったが、ショックは隠しきれない。それを医者はまだ具合が悪いのだと見て取ったらしい。 「大丈夫かね? 頭痛や吐き気は?」 「……いえ」 そう言いつつも精神的なショックでどうにかなってしまいそうだった。 (どうしよう……。どうしたらいいんだ……) どうしてこんなことになってしまったのか。高耶には見当もつかない。 まさか医者に自分の詳しい素性を話すわけにもいかない。下手に身寄りを捜されて、松本の家族に連絡されても困るのだ。 ここは過去。自分は、ここにいるべきではない存在なのだ。 「君のご家族は? どこに住んでいるんだね?」 来るだろうと予想していた質問に、高耶は答えられない。考えあぐねて黙り込んでいると、横から国領が口を開いた。 「言いたくないのなら、無理して言うことはない。行くところがないのなら、しばらくはここにいればいい。その間に体を治して、身の振り方を考えなさい」 家の主にそう言われては、医者もそれ以上問いつめることもできない。一通りの診察をして打ち身の手当をし、ひとまず帰っていった。 (国領のじーさん。オレのこと家出人か何かと思ったのかな……?) ある意味家出人のようなものなので、それはそれで構わない。下手に詮索されるよりはよほどマシだ。 「すいません。……ありがとう、ございます……」 布団の上に上体を起こして、高耶は国領にそう言った。 「いいや。構わんよ。……その代わり、と言ってはなんじゃが、お前さんに頼みたいことがあるんじゃ」 「……? なんですか?」 首を傾げて問い返す高耶。 「お前さんの傍にいた子供……義明というのじゃが……。ここにいる間、あの子の面倒を見てやって欲しい」 (…………っ! やっぱり……) あの少年は、昔の直江なのだ。 「でも……っ」 「あの子は、少々変わっておってな。親にも誰にも心を開かない。じゃが、お前さんには何故か興味を抱いているようじゃ。あの子の心を開くためにも協力を頼みたいのじゃ」 正直なところ、高耶は国領の申し出に躊躇した。 過去の直江に関わって、迂闊にボロを出してしまったら大変なことになる。だが、国領はそんな高耶の考えなど知るよしもなく、 「−−それが何も聞かずここに置いてやる条件じゃ。では、頼んだぞ」 にっこり、と笑顔で言ってさっさと部屋を出ていってしまった。 「え、あ……! ちょっと!」 (くそ〜! あのじいさん! 人の気も知らねーで!) 思わず声に出して罵りそうになった時、再び襖が開いて国領が顔を覗かせた。 「そうじゃ、坊主。お前さんの名前を聞いておらんかったな」 「え……? あ……。仰木、高耶……」 「そうか。では、くれぐれも頼んだぞ。高耶」 口を開く前に、またさっさと襖は閉じてしまい、高耶は途方に暮れて頭を抱え込んでしまった。 (……ぜってーマズイって。これは……) 今、自分がいるところが過去だということは、もう認めるしかない。 −−だからこそ、過去の直江に接触しすぎるのは危険だ。 直江は既に一度、高耶が景虎ではないかという疑念を持っている(実際、高耶=景虎なのだが)。親にさえも心を開かない直江が興味を示したという国領の言葉がそれを裏付けている。その疑念が再び息を吹き返して、今度こそ確信に変わってしまったとしたら……? 過去が変わってしまう危険が、より大きくなってしまうではないか。 (んなの、冗談じゃねぇ!) 過去が変われば、その先に辿り着く未来も例外ではない。 (−−未来が、変わる……) 闇戦国を終結させ、やっとの思いで手に入れた平穏な時間。そのすべてが、失われてしまうかも知れない。 そう思うと足下が崩れ落ちるような恐怖に捕らわれる。 (直江……!) 自分と同じ時を生きていた男の顔を思い出すほどに、失うことの恐怖が高耶を襲う。 思わず両腕で我が身を抱きしめたその時−− 「……体の具合はどうですか?」 不意に襖が開いて、少年の直江が入ってきた。とっさに走った動揺を取り繕えず、びくんと肩が震えてしまう。それを目聡くみとめた直江は小さく首を傾げた。 「……? どうかしたんですか?」 「い、や……。なんでもないよ……」 少年とはいえ、直江は直江。鳶色の瞳で心の中を見透かすように見つめてくる仕草は同じで、我知らず心臓がどくんと大きな音を立てた。 「まだ少し顔色が悪い。寝ていてください。……ええと」 少年の直江にはまだ名前を教えていなかった。ここで自分の名前を教えてもいいのかどうか、少しの間高耶は迷ったが、思い切って口を開いた。 「高耶。……オレは、仰木高耶だ」 「……高耶、さん……」 まだ少年らしい少し高めの声色で、直江はその名を噛みしめるように呟いた。 to be continued
100000HITの桜井さんのリク作品、第三話をお届けいたします。 |