想いの行方


Written by とらこ  


  前編


「う、わぁ。すごいな!」
 感嘆の声を漏らし、双眸を宝石のように輝かせて高耶はその景色に見入っている。
 峠から見下ろす麓に広がる湖と、橋で繋がった中央の小島に建つ大きな古い城。まるで一枚の絵のような美しい光景を、抜けるような青空と白い雲が彩る。
 短い秋も終わりに近づき、日一日と冬に変わってゆく今日この頃は日中も上着を着ていないと寒くてたまらない。
(日本じゃあ、まだ暑くて大変なのにな)
 今更のように自分が今いる場所が、故郷から遠く離れた北の土地なのだと実感する。
 高耶は今、スコットランドにいた。
 小さい頃からの夢だった海外留学を果たし、高校を卒業してすぐにノルウェーの大学に入ったのだ。ホームステイ先は地元の富豪の家で、老夫婦と彼等の三番目の息子が同じ屋敷で暮らしている。その三男坊の名前は直江。年齢は三十歳で、弁護士をしている。親日家であるアンドリュー・フォン・ウルネス氏が日本人女性と結婚して生まれたハーフだ。
 その直江と週末の連休を利用して、ウルネス家の所有するスコットランドの古城へと遊びにやってきたのだ。
「ほんとにあの城が直江ん家のものなのか?」
「そうですよ」
 すっかりはしゃいでいる高耶を見つめる男が柔らかく微笑む。風にさらりと揺れる鳶色の髪。優しい光を宿した同じ色の瞳が高耶は大好きだった。とんでもなく綺麗に整った顔立ちは生粋の日本人とあまり大差はないが、身に纏う空気が歴然と違う。
 昔の王侯貴族を思わせる風格を湛えた直江は、あの城にぴったり似合うと高耶は思った。
(スーツなんかじゃなくて、それらしい衣装だったらもっと雰囲気出るのにな)
「あの城には二代前までの当主達が住んでいたんですが、今は歴代の当主達が集めた美術品や歴史的価値の高い骨董品を展示して博物館にして一般に公開しているんです」
「え? 今日はあの城に泊まるんじゃないの?」
 それを楽しみにしていた高耶の表情が僅かに曇る。
「大丈夫。公開しているところとは別に、ちゃんと泊まれるところもありますから。それに、ここは観光ルートからだいぶ外れていますから、滅多に見学に来る人もいないんですよ」
「じゃあ、なんで一般公開なんかしてんの?」
「一番大きな理由は税金対策ですね。こんな城ごと私財として保存していたら、とんでもない金額の税金を支払わなくてはならないですからね」
「……ふうん。色々大変なんだな」
 納得したように頷いた高耶の肩にそっと手を置く。
「高耶さん。そろそろ行きましょうか。連絡しておいた時間よりだいぶ遅れていますから、城の管理人が心配していますよ。きっと」
「……うん」
 それでも名残惜しそうに景色を見つめ、なかなか車に戻ろうとしない高耶に、直江は苦笑しながら言った。
「そんなに気に入ったのなら、後でまた来ましょうか。お弁当でも持って、一日ゆっくりするのも悪くありませんからね」
「うん!」
 その言葉に破顔して、ようやく助手席へと乗り込む。
 湖畔の城を目指して、車は再び走り出した……。


*  *


「う、わ……。でかいな」
 峠から見下ろしたときはさほど感じなかったのだが、近くに来て建物全体を見上げた高耶は改めて感嘆のため息を漏らした。
 長身の直江の1.5倍もありそうな古めかしい扉。その中央にはドラマや映画で見たことのある獅子を象ったノッカーがついている。直江はそれに手をかけてノックしようとしたが、ふと思い立って高耶の方を見た。
「……やってみますか?」
「……っ! ばっかやろ! 子供じゃねぇぞ!」
 一瞬嬉しそうに顔を輝かせたのも束の間。すぐに真っ赤になってぷんっとそっぽを向く。
「……すみません」
 くすくすと堪えきれずに笑いながら、自分でコンコンと数回ノックした。
「はぁーい」
 向こう側から聞こえてきた明るい女の声に、直江と高耶は思わず顔を見合わせる。この城の管理をしているのは直江の親類の老夫婦だと聞いていたからだ。
「いらっしゃーい! 直江。遅かったわねぇ」
 物凄い勢いでドアが開くなり、どーんと体当たりでもするように若いソバージュヘアの女性が直江に抱きついてきたではないか。
(……なんだよっ。この女)
 今までの楽しい気分はどこへやら。思わずむっとしてしまう高耶。
 一方、直江はいきなり抱きつかれて目を白黒させて驚いていたが、悪戯っぽい笑みを浮かべる女性の顔をよくよく見てあっと声を上げる。
「……綾子、か?」
「そう! よ〜やく思い出した? 薄情な従兄弟ねぇ」
 声を上げて快活に笑った女性の名は綾子といい、直江の従兄弟にあたるのだという。この城を管理している老夫婦は彼女の祖父母にあたり、久しぶりに直江が来るというのでわざわざ出向いてきたらしい。
 中にも入らずに親しく話をしている二人の横にいて、高耶はなんだか面白くない。見るともなく横手の茂みの方を眺めていた。
(……なんだろ。……なんか、モヤモヤして嫌な感じ……)
「……あれ?」
 わけのわからない不快感を持て余し、足元の小石を蹴り飛ばした時、茂みの中から黒いものがよろよろと歩みだしてくるのが見えた。
 小さな、薄汚れた黒い毛玉。もそもそとこちらに近寄ってくるそれは、バーニーズマウンテンドッグの子犬だった。喉でも渇いているのか、へっへっと赤い舌を出して苦しい息づかいをしている。どこをどう歩いてきたのか、全身泥まみれになっていたが、高耶は構わずに傍に寄って抱き上げた。
「おい。お前、どこから来たんだ?」
 く〜ん、と鼻を鳴らす仕草がたまらなく愛らしい、可愛い顔をしている。風呂で洗ってやれば、もっとよくなるだろう。
 子犬はお腹がすいているのか、高耶の指をしきりに舐めた。
「高耶さん? 何をし……!」
 ようやくこちらに顔を向けた直江は子犬同様泥だらけになってしまった高耶の有様に思わず絶句してしまった。
「あらあら。派手に汚したわねぇ。早く中に入ってシャワー浴びて。綺麗にしないさいな」
 そう言って綾子は高耶の荷物を持ってすたすたと中に入ってしまった。
「え……」
 高耶は子犬を離すのが嫌でそのまま立っていると、呆れたような声が階段の途中から飛んできた。
「その犬も一緒よ。ホラ、早くなさいな」
 その言葉にぱっと顔を輝かせた高耶だったが、一応直江の方を振り返る。男は仕方がないとでも言うように嘆息して頷いてみせた。
「綺麗に洗って乾かしてからじゃないと、中で放しては駄目ですよ」
「うん! ありがと、直江!」
 心底嬉しそうに微笑んで、高耶はばたばたと中へ駆けてゆく。
「……まったく。貴方という人は……」
 安堵の息をつくが、まだ心臓はどくんどくんと大きな音をたてている。
 二人の兄も独立し、直江自身も忙しくてゆっくり休みも取れないために、家がガランとして寂しいと言う老いた両親の為に留学生をホームステイさせてはどうかと提案したのは直江だった。一も二もなく賛成した二人が早速選んだ少年を初めて紹介された時のことは忘れられない。
 高耶を一目見た瞬間に、直江は恋に落ちていた。
 今までも数を忘れてしまうほど女とつきあってきたが、こんな気持ちは初めてだった。
 兄のように、恋人のように、優しく慈しみたい心と、彼をどこかに閉じこめてでも自分だけのものにしたいと願う心。二つが混在して時折、直江自身を振り回す。でも、日本人は北欧人とは違い、性的なモラルに厳しい。この気持ちを打ち明けたいが、高耶の反応が怖くて未だに踏み切れずにいるのが現状だった。
 高耶への気持ちをはっきりと自覚してからは女遊びもしなくなり、男盛りの身としては辛い時もある。しかし、躰が高耶でなければ反応してくれないのだから仕方ない。
 先程のように可愛らしい無邪気な笑顔を見せられてしまうと、必死に抑えている感情が暴走しそうになってしまう。
 彼の細い躰を抱き締めたい。あの肉感的な唇にキスしたい。……そして
 そこまで考えて、邪な想いをを振り払うように首を振る。
 今はまだ、彼の笑顔だけで満足しよう。
 そう自分に言い聞かせながら、荷物を持って中へと入った……。


*  *


 一般に公開しているところとは違い、居住フロアは比較的地味な造りをしている。といっても入ってすぐのところに二階へのスロープ状の階段があり、真正面の踊り場には何代か前の当主の肖像画が飾られている。一階の奥にある厨房から顔を出した老夫婦が直江に気づいて、笑顔で出迎えてくれた。
「まあまあ、よくいらっしゃいました。ゆっくりしていってくださいませ、直江さん」
「お世話になります。……早速ですみませんが、私の使う部屋はどこでしょう? 荷物を置きたいのですが……」
「ああ。いつもの二階の東端の部屋を支度してありますよ。お連れさんはその隣。さっき綾子が連れて行ったみたいですけど」
「そうですか。……すみません。来る早々騒がしくしてしまって」
「いえいえ。普段が静かすぎるくらいだから、私たちも賑やかな方が嬉しいんですよ」
 屈託なく笑う老婦人に軽く頭を下げてから二階へと向かう。上に近づくにつれて、綾子と高耶の騒々しい声が聞こえてくる。
「きゃあ! 暴れないでよ、このバカ犬! せっかくこの私が洗ってあげよーって言ってんのに!」
 ヒスを起こした綾子の叫びに高耶の楽しそうな笑い声が被さる。
「ははは。おとなしくしてろって。……よしよし。今キレイにしてやるからな」
 すっかり濡れてしまった綾子が憤然と出ていくとき、ドアの隙間からシャワーの水音と子犬の吠える声が聞こえた。
 楽しそうな様子を見に行こうかとも思ったが、シャワーを浴びている高耶は無論のことながら裸なのだ。想像しただけで躰が反応してしまうのに、実際に目にしてしまったら、自分を抑えていられる自身がまったくなかったのでやめにした。
 こんな調子で、この休暇を無事に乗り切れるのだろうか。
 自分の忍耐の限界を試されているような気がして、直江は深々とため息をついた……。




 いたち茶屋さんにUPしていただいていた作品を再UP。 
 紅雫さんのリクで、「留学生の高耶さんとホームステイ先の一家の直江」をお届けいたします。
 色々考えたんですが、直江ってなんか北欧人っぽいな〜と思ってしまうのは私だけかなぁ? ということで、あやしいノルウェー人のハーフの直江です(笑) フルネームも考えたんですが、あまりの面白さに即却下(笑) に、似合わない……っ。



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