Written by とらこ  


  前編


 夢のような秋の休暇から、早くも数ヶ月が過ぎた。
 あの湖の一件以来、高耶と直江はお互いに恋人として想いを通わせるようになったのだが……。
 それぞれに忙しい日々が続き、週末もほとんど一緒に過ごすことができず、時々のデートとスキンシップのフレンチキス以上にはなかなか進展できずにいるのが現状だった。
 あの時以来直江と一緒に遠出をすることもなく、高耶は深い寂しさを感じていた。
(……忙しいのはわかるけど……もう少し構ってくれてもいいよな)
 秋の休暇のおりに訪れたスコットランドの城から一緒に連れてきたバーニーズ・マウンテンドッグの小太郎に構いながら、高耶は深々とため息をついた。
「……小太郎。やっぱり、直江にはちゃんと別に好きな人がいるんじゃないのかな? 忙しいって……仕事だけじゃなくて、その人に会うからなのかな?」
 あの時、愛していると言ってくれた言葉を信じたい。
 けれど、デートする時間すらままならない現状が、高耶の中にあらぬ不安を掻き立てる。
 二人が同性同士だということも、その不安に拍車をかける一因のひとつだった。いくら北欧の人間が性的なことにリベラルだといっても、やはり他人の口に上れば直江にとってマイナスは大きいだろう。
 なまじ有能な弁護士なだけに、彼の背負うリスクも大きい。
(……それに……)
 あと三年もすれば、高耶は日本へ帰らねばならないのだ。
 遠からずやってくる別れから自分を守るためには、この想いには深入りしない方がいいのかも知れない。
 高耶は、そう思い始めていた……。



 高耶はノルウェーの首都・オスロの大学で法学部を専攻している。将来は弁護士か、いずれにしても法律関係の仕事につきたいと思っているからだ。
 幼い頃から両親の不和が絶えず、色々と世話になることの多かった家庭裁判所の調査官になりたいと思ったのがその始まりだった。
 ヨーロッパや北欧の国々の福祉に関する法律は、日本のそれよりも遙かに進んでいて、学ぶべきところは大きかった。
「……ふう」
 その日の最後の講義が終わり、教科書をまとめながらため息をついていると、不意に誰かが肩を叩いた。
「お疲れさま。今日はもう終わり?」
 日本語で話しかけてきたのは、高耶と同じ留学生の北里美奈子だった。彼女も法学部を専攻しており、同じ講義を受けることも多いので、自然と友人になったのだ。
「美奈子……」
「どうしたの? 元気ないわね」
「そんなことないよ」
 慌てて取り繕うように笑顔をつくる。しかし、美奈子は腑に落ちないとでもいうような表情をしてから、淡く微笑んだ。
「何か悩んでるの? ……人に話した方が、楽になれることもあるわよ?」
 わざわざそう言ってくれた気持ちはとても嬉しかったが、直江のことを相談なんてできない。
 高耶は静かに首を横に振って断ったが、美奈子は構わずに腕を取る。
「みっ、美奈子っ!?」
「じゃあ、昨日出たレポート一緒にしましょうよ。仰木君、優秀だから色々教えて」
 笑顔でそう言われると今度は断ることもできず、高耶は苦笑しながら頷いた。
 それから二人は大学の近くのカフェに場所を移してレポートを書き始めた。お互いにわからないところを尋ねたりしながら、あっという間に一時間が過ぎる。
 一息ついてアイスティーをひとくち口に含んでから、美奈子はおもむろに話を切りだした。
「仰木君て、好きな人でもいるの?」
「なっ、なんで!?」
 とっさに吹き出しそうになりながら、焦って問い返す。
「ううん。なんとなく……。あれ? もしかして、図星?」
「〜〜〜〜〜っ」
 女の勘は鋭いというが、本当にあなどれない。高耶が真っ赤になって俯くと、美奈子はニッコリと笑って言った。
「そんなに恥ずかしがらなくても……。人を好きになることはステキなことだと思うわ」
「……うん」
 でも、幸福な気持ちだけがそこから生まれてくるわけではない。
 どうしてもかき消すことのできない不安を、堪えきれずにぽつりと呟く。
「……でも、人の心は永遠じゃないから……」
「え……?」
「不安……なんだ。ずっとその人に好きでいてもらえるのかどうか……。それに、オレはあと三年もしたら日本に帰ることになるし……」
 そうしたら、どうなってしまうのだろう?
 直江は、どうするのだろう……?
「深入りするのが、怖いの?」
 ストレートに聞いてくる美奈子に、力無く頷く。
「……ホントに好きなのね。その子のこと」
 まさか相手が年上の、しかも男だとは思ってもいない美奈子の言葉に思わず苦笑が漏れる。
「−−でも、そうやって怖がって何もせずにいて自然消滅しちゃったら、きっと後で後悔することになると思うわ。ここはいつもの仰木君らしく、ちゃんと自分の気持ちを伝えた方がいいと思うな」
「…………」
 後悔なんて、したくない。
 たとえ別れてしまうことになっても、今は直江の傍にいて二人だけの想い出をたくさん作りたい……。
 美奈子の言葉に背中を押されて、ようやく心が決まった高耶は少し明るくなった笑顔をみせた。
「うん。……そうしてみるよ。……ありがとう」


*  *


 その日、直江はちょっとした用事があって高耶の大学の近くまで来ていた。
 多くの学生が行き過ぎるのを車の窓から見つめながら、ふと高耶の姿を捜している自分に気がついた。
 仕事が忙しくて、最近はまともに顔も見ていない。
 デートしたり、高耶と二人だけで過ごしたいのはやまやまだったが、このところスケジュールが詰まりに詰まっていて、そんな時間を取ることもできないのが現状だった。
(高耶さんに逢いたい……)
 彼は何も言わないが、黒い瞳にはありありと寂しさが表れていた。
 不安そうな彼を見るにつけ、今の自分の状態が歯がゆくてしかたがない。
 そう思った時だった。近くのカフェの窓際の席に、高耶の姿を見つけたのは。
 とっさに車を降り、店に入ろうとした瞬間、直江は凍りついた。
 彼の向かい側の席に、綺麗な女性の姿があったからだ。
 年齢は高耶と同じくらいだろうか。長い黒髪の日本人の女性だ。ごく親しげに語り合う表情は穏やかな優しさに満ちていて、お互いにかなり心を許しあっていると傍目にもわかる。
「…………ッ!」
 その瞬間、胸を突き上げてきた衝動を、直江は唇を噛みしめて堪えた。
 高耶をここへ引きずってきて、女から引き離したい。そして、強く問いただしたい。


 俺トイウ者ガアリナガラ……!


 今日はこれからも夜遅くまでびっしりと仕事が詰まっていたが、そんなものはすっかり頭から消え失せてしまった。その時店内の二人が席を立ち、外へ出てきた。直江は再び車に戻り、そのまま二人の後を尾行し始めたのだった……。


 
 高耶と美奈子はカフェを出た後、授業のことや、たあいのない雑談をしながら街を歩いて美奈子のホームステイ先の家の前で別れた。そのまま自分も家に帰ろうとした高耶に、直江は車を降りてつかつかと足早に歩み寄って不意に腕を掴んだ。
「な……っ!? なお、え……?」
 こんなところでどうしたんだ、と問いかけようとしてとっさに息を飲む。直江の鳶色の瞳が、いつになく剣呑な光を宿していることに気づいたからだ。
(……怒って……るのか……?)
 何故、どうして怒っているのか。わけのわからない高耶は困惑し、立ちつくしてしまう。
 直江は何も言わず、ただ黙って高耶を見つめている。その無言の圧力に最初は驚き、気圧されていたが、少しずつ落ち着いてくると今度はふつふつと怒りがこみあげてくる。
 理由すら話さず、どうしてこんな理不尽な怒りを受け止めなければならないのか。怒りたいのは逆にこちらの方だと高耶は言いたいくらいだ。
(……こんなに、こんなに不安にさせといて……!)
 高耶はぎゅっと唇を噛みしめ、力任せに直江の腕を振りほどいた。
「いきなり何すんだ!? なんでそんな目でオレを見んだよ!? わかんねぇよ!」
 一度口を開いてしまえば歯止めがきかず、一目も構わずに高耶は言い放った。
「……わからない、ですか。私がどうしてこんなに怒っているのか?」
「ああ、わかんねーよ! オレに原因があるならハッキリ言えよ!」
 叫びながら、高耶は必死に涙を堪えていた。
 お互いの想いを伝えあったあの時は、もう幻のようにさえ思えた。
 −−今は、こんなにも心が遠く感じられるなんて……。
 苦しくて、つらくて、これ以上直江の顔を見ていたくなかった。
 怒っている理由も何もかも、もうどうでもいい。
「…………っ」
 とっさに駆け出した高耶をつかまえようと直江は腕を伸ばしたが、するりとかわされてしまう。
「高耶さん……ッ!」
 叫んだが、彼が足を止めるはずもなく、取り残された直江はその場に呆然と立ちつくすしかなかった……。






 19503HITの紅雫様さんのリク作品、「思いの行方」の続編をお届けします。
 なんだかいきなり不穏な雲行きの二人ですが……;;



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