Written by とらこ  


  後編


 その夜、直江は重い足取りで家に帰るなり、玄関先で両親に取り囲まれた。
 ひどく心配そうな面持ちで彼らが案じているのは、血の繋がった息子ではなくて、それよりもかわいがっている留学生のことだった。
「帰ってくるなり部屋に閉じこもって……。夕食もいらないって言うのよ」
「何かあったのか、聞いてみておくれ」
 彼自身に直接問わずとも、その理由はわかっている。
 直江は僅かに表情を曇らせてから頷き、二階の高耶の部屋へと向かった。
 ドアをノックしてみても、返事はない。
「……高耶さん。私です」
「…………っ」
 返事らしい返事はなかったが、ドアの向こうで高耶の気配が僅かに動いたのが感じられた。
 そっとノブに手をかけてみると、鍵は閉まっていなかった。直江は思いきってドアを開け、部屋の中に足を踏み入れた。
「……入ってくるな……っ」
 泣いていたのだろうか。うわずって掠れた声で制止したが、直江は構わずに中に入り、後ろ手にドアを閉めた。
「高耶さん……」
「入ってくんなって言っただろ! お前なんか……ッ! 早く出て行けよ!」
 ベッドの上で膝を抱えていた高耶は枕を掴んで投げつける。それを片手で受け止め、直江は言った。
「私の話を、聞いてください」
「…………」
 もう、怒気の感じられない声色に、しかし返答はない。直江は構わずに言葉を続けた。
「……さっきは言い過ぎました……。謝ります」
「……そう……」
 直江の謝罪を受け入れる返事のようだが、その心までは届いていない。何か硬い殻のようなものに高耶の心が覆われていることに気づいて、直江はきつく眉を顰める。
「高耶さん……?」
「……直江……。オレは……お前にとって何なんだ……?」
「え……?」
 思ってもみなかった高耶からの問いかけに、直江は双眸を見開く。
「……オレは、あの時のお前の言葉をずっと信じてた……。だけど、お前はずっと忙しいの一点張りでまともに顔を合わせることも少なくて……」
 今までずっと心の奥に秘めてきた不安を口にする高耶の声色は、僅かに震えている。直江は声をかけることすらできず、ぎゅっと拳を握りしめて高耶の言葉を聞いていることしかできない。
「……オレは、後三年もすれば日本に帰るし……。だから、適当にあしらっておけばいいって思ってたのか……? 本当は、別の誰か……本当に好きな人でもいるから……」
 だから−−
 それ以上は上手く言葉にならず、堪えきれない嗚咽が漏れる。両手で顔を覆い、深く俯いた高耶の肩を掴み、直江は声を荒げて叫んだ。
「違う! 違うんです……! 高耶さん!」
 直江は必死に否定したが、高耶はもう聞きたくないとでも言うように何度も首を横に振った。
「違うんです……!」
「何が? 何が違うっていうんだよ……? オレにはもう、お前の気持ちがわかんねーよ」
「高耶さん……」
 高耶がずっと心に秘めてきた不安を初めて知った直江は、深い後悔に苛まれてきつく唇を噛みしめた。
 直江への猜疑心で気持ちが揺れていたところへ、突然の出来事。高耶はさぞ困惑し、苦しんだことだろう。
 しかし、直江にも激情にかられてしまうだけの理由はあったのだ。−−けれど、その理由さえも次に高耶が零した言葉で、何の意味もないものに変わった。
「……オレ、ずっと悩んでた。直江の気持ちがわからなくて……それでも、この想いがどんどん強くなっていくのが怖くて……。美奈子は、オレが塞ぎ込んでるのを知って、相談に乗ってくれた……。このまま何もしないで、自然消滅したらきっと後悔するから……きちんと自分の想いを伝えた方がいいって……だけど……ッ」
 堪えきれず、高耶はぎゅっと目を瞑って首を左右に振った。
(なんてことだ……)
 高耶は決して心変わりなどしたわけではなかったのだ。それなのに、自分は理由も聞かず、激情のままに高耶を責めた。
「……けど……そんなの、意味がないって……やっとわかった」
 高耶の瞳の色が、絶望に沈む。自分の中の想いを断ち切ろうとしているとすぐに気づいた直江は、乱暴にその肩を掴んだ。
「意味がないなんて、そんなことはない!」
 もう何も聞きたくないというように両手て耳を塞ぎ、何度も首を左右に振る高耶。その腕を掴み、直江は言葉を続けた。
「すべて誤解です。私が貴方以外の人間に心を移すなんて、絶対にあり得ない。……このところ忙しかったのはちゃんとした理由があるんです」
 そこで一度言葉を切ると、直江は少し言いにくそうにしながら再び口を開いた。
「今の勤めている事務所から、独立するんです」
「え……?」
 寝耳に水な話に、高耶も思わず直江を見返す。
「……貴方の留学期間は後3年。それだけで別れるなんて、私は嫌なんです。……だから……」
「だから……?」
「貴方がずっとこちらにいられるように、一緒に働けるように事務所を独立しようと思ったんです」
 そして、それを実行するべく、直江は東奔西走していたから忙しかったのだ。
「……直江」
 高耶は信じられないとでも言うように大きく目を見開き、改めて問いかけた。
「……けど、じゃあなんであんなに怒ってたんだ?」
「……それは……その……貴方が女性と一緒にいるのを見て、ついカッとなって……」
 いわゆる嫉妬、というやつで……。
 高耶は自分ひとりで空回りしていたことに気づいて深くうつ向いた。
「……ごめん……」
 最初から、きちんと聞いてみればよかったのに。
「いいえ。私がきちんと説明しておけばよかったんです。かえって貴方を不安にさせてしまってすみませんでした」
 そっと抱き寄せると、今度は抵抗なく直江の腕の中にすっぽりとおさまる高耶。そのぬくもりを逃がすまいとするように、直江の背中に自分から腕を回した。
「……もう、いいんだ。直江がオレのこと、ちゃんと思ってくれてたのがわかっただけで」
「……高耶さん。貴方に辛い思いなんかさせない。幸せだけあげると誓うから……どうか、ずっと私の傍にいてください」
「直江……」
 この世界にこんな幸福なことがあるなんて、高耶は今まで知らなかった。
 直江がくれるぬくもりに心まで包まれ、甘い幸福に高耶は酔いしれた。
「……うん。オレも、ずっと直江の傍にいたい……」
「高耶さん……」
 高まる想いのままに、二人の顏が近づいてゆく。
 最初は、軽く触れあってすぐに離れ、また今度は、深く重なり合う。唇や、抱きしめあう体だけではない。心までもぴったりと重なり合い、二人の心が満たされてゆくのがわかった。
(ああ……)
 こんなにも強く、深く愛されていたんだ。
 人の気持ちは揺れ動きやすく、これからだって今回のようにすれ違ってしまうことがあるかも知れない。それでも二人でなら、どんなことだって乗り越えていける。
 直江を愛し、彼に愛されている限りは。
 直江の広い背中を強く抱き返しながら、高耶は強くそう感じた。



 これから三年と少し後。高耶が無事に司法試験に合格する。
 それからすぐに直江の事務所に入り、一緒に働き始めるのはまた、別のお話……。 




END



 19503HITの紅雫様さんのリク作品、「思いの行方」の続編をお届けします。
 前編からかなり間が空いてしまって申し訳ありません〜。
 これにて完結でゴザイマスv



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