Written by とらこ 第一話 『心配なんです!』 電話にでるなり開口一番にそう言われて、橘照弘は返答に窮した。 相手は栃木の実家の母。用件は最近の母の悩みの種である放蕩者の三男坊についてだった。話題の三男坊−−橘義明こと直江信綱は、最近は照弘の仕事の手伝いをしながら東京で暮らしている。以前は家族思いでこまめな連絡を欠かさなかったものだが、最近は一週間以上も連絡しないことも普通で、自分の生活についてあまり話したがらないようになっていた、ことに母が口を酸っぱくして言っている結婚のことに関しては口が重く、なんだかんだとかわされてしまうのが常だった。 世間様に顔向けできないようなことをしているのではないかと心配した母が、義明に一番近いところにいる家族である照弘に相談を持ちかけてきたのだ。 「……心配なのはわかりますがね、お母さん」 相手はとっくに三十を越えた、一人前の男なのだ。家族に言えない秘密のひとつやふたつはあっても当然だろう。照弘は母の過保護ぶりに辟易しながらも、なんとか上手く宥めようと言葉を続けた。 「義明ももう三十過ぎなんですよ。あいつにも自分の生活というものがあるんですから、あまり干渉するべきではないと思いますよ」 『照弘さん! 親が子供の行状を把握しておくのは当然のことです!』 「……お母さん」 母が過敏になるのもわからないわけではない。義明は末っ子だし、幼い頃から色々とあった子供だったから、母はいつも人一倍気にかけていた。しかし、それはあくまで子供の頃の話だ。今の義明は何の心配もいらないまともな生活をしている。仕事もできるし、以前は盛んだった女遊びもこのところは鳴りを潜めているようだし、照弘から見ればとても落ち着いているようだと思う。実家に連絡を入れることとて、以前の義明があまりにもマメ過ぎたのであって、普通は滅多にしないものだと照弘は思っている。人並みになったことが、母にはよくないことに感じられているらしい。 「……とにかく、義明の様子はそれとなく私が調べてみますから。電話切りますよ。今、忙しいんです。−−じゃあ」 『えっ!? 照弘さん? 照弘さ……』 母の声を断ち切るように受話器を置いて、照弘は深い深い溜め息をついた。 * *
直江の部屋ならば安心だと思って油断していたのだと思う。 まさかあんなことになるとは思ってもいなかった二人は、休日のドライブの後、直江のマンションに戻った。ドアを閉めて鍵をかけるなり、直江に押し切られるように唇を重ね、互いの舌を絡めて濃厚なキスをかわす。 「……んっ」 「……駄目ですよ。逃げないで……」 「……だって」 まだ時間は夕方であるせいか、恥じらって逃れようとする高耶を強引に捕らえて腕の中に閉じこめ、彼が完全に堕ちるまで長い間夢中になって口づけていたせいで、直江は室内にいた先客の気配に気づくのが遅れた。 「義明? 帰ってきたの、か……っ!」 折良く帰ってきた弟に声をかけながら玄関口を覗き込んだ先客−−照弘は、思いがけない光景に出くわして驚きに声もない。 「……よし、あき」 直江は気づいた瞬間にとっさに身体を離して高耶を背中に隠したが、もう遅かった。照弘は明らかに表情を強張らせて直江を見つめた。 「……来ていたんですか。兄さん」 直江がここを使い始めてからは合い鍵を使って勝手に兄が中に入ってくることなどなかったので、すっかり安心しきっていたのだ。こんな形で高耶との逢瀬を見られてしまうとは思ってもみなかったが、直江は落ち着き払った態度で言った。 直江としては何ひとつ恥じることもなく、動揺もあまりないのだが、高耶の方はそうもいかない。照弘の反応を恐れてぎゅっと背中にしがみついている。 「何か用事でも?」 「あ、ああ……。お母さんがお前の様子を見てこいとうるさいんでな。この頃向こうに連絡していないんだろう」 「ええ。特に話すこともありませんし、この年になっていちいち細々と連絡を入れる必要もないでしょう」 「ああ。私もそう言ったんだが、お母さんが聞き分けてくれなくてな」 でも、様子を見に来てみて正解だったと照弘は思った。 こんなことになっていたなんて。 別に偏見があるわけではない。しかし、照弘の認識はそういう人たちも世の中にはいるのだという範囲のもので、まさか自分の弟が同性とそういった関係になっているなど、にわかには信じられなかった。 (……でも、まだ私の見間違いかも知れない……) 弟が否定し、いつものような穏やかな笑みを見せてくれることを彼は心のどこかで望んでいたが、それは儚く裏切られることになる。 「……義明。…その、なんだ……彼は……」 背中に隠れた青年を庇う仕草を見せる弟。その態度がすべてを物語っていたが、どうしても信じられない照弘は言葉に出して問うた。僅かにうわずった声色の問いかけに直江は一瞬黙り込む。背中にしがみついている高耶の身体が、それとわかるほど大きく震えたからだ。 「……そのことについては後できちんと話します。すみませんが、今日はこれで帰ってもらえませんか? 用事はもう済んだでしょう」 「え……。あ、あぁ……」 いつになく冷たい言葉に気圧されるように部屋を出る。エレベーターで地下の駐車場へ下り、車の中でしばし呆然としていたが、ようやく思考が戻ってくると、今度は頭を抱え込んだ。 「……こんなこと、どうやって言い出したらいいんだ……?」 母は今頃電話の前で照弘の報告を今か今かと待っていることだろう。出来る限り穏便に、ショックを与えずに知らせる方法はないものかと悩み抜いたが、何もいいアイディアは浮かんでこない。しばらくハンドルに突っ伏して考えていたが、結局後できちんと話すと言った弟の言葉を信じ、だんまりを決め込むことに決めた照弘だった……。 * *
一方、直江の部屋では高耶がすっかり恐慌状態に陥っていた。 「直江……っ。どうすんだよ! あんなとこ見られて……!」 「……高耶さん」 青ざめてかすかに震えてさえいる高耶をそっと抱き寄せて、安心させようと背中を撫でてやる。しばらくするとようやく気持ちも落ち着いてきたのか、直江の胸に頬を押しつけてしがみついてきた。 「……直江」 「少しは落ち着きましたか?」 「……うん。ごめん。……でも、本当にどうするんだ?」 見上げてくる瞳には不安の色が濃い。無理もないかと直江は思う。普段から高耶は他人に二人の関係を知られることをひどく恐れているし、今日のことは予想もしていなかった不慮の出来事だったのだから。 だが、内心ではこれはいい機会だと思わないこともない。いずれは双方の家族にも知られてしまうことだし、これを機会にきちんと話をしたい。 ただ、不安が残るのは先程の兄の態度だ。一番理解がありそうだった長兄があの様子では、あっさり認めてもらえるとは到底思えなかった。そのいざこざで高耶を傷つけたくないと思う。しかし、結果として避けられないことならば、先延ばしにしても同じことなのだ。 「高耶さん。近いうちに私の実家へ一緒に行ってくれませんか?」 「……直江……っ」 その意味を察してとっさに顔を上げ、激しく首を横に振る。 「……高耶さん。いずれは話さなければならないことなんです。ただ、それが遅いか早いかの違いだけです。兄さんに見られてしまった以上、下手に隠し続けるのはかえって勘繰られることになると思いますよ。……それに」 そこで一度言葉を切り、真摯な眼差しで高耶を見つめる。 「誰に憚ることなく貴方を私のものにしたい。家族に理解してもらえれば、堂々と同居できるでしょう?」 「あ……」 直江が高耶との同居を望んでいることは、耳にタコができるほど聞かされたから知っている。しかし、家族の手前や、周囲の勘ぐりを慮って高耶は頑なに拒んでいた。 高耶とて、一緒に暮らしたいと思わないわけではなし、二人のことをいつまでも隠していることに後ろめたさを感じないこともないわけでもない。できれば、家族には認めて欲しいと思うところも確かにある。 −−しかし、それ以上に直江と引き離されてしまうのではないかという恐怖が強いのだ。直江はそれを見越して、高耶を勇気づけるように微笑んでみせる。 「大丈夫。万が一にでも引き離されそうになったら、二人で一緒にどこかへ逃げましょう」 −−誰も邪魔のはいらないところまで。 「……直江」 そんなことできるわけがないと思いながらも、高耶のことを想ってそこまで言ってくれる気持ちが嬉しかった。 「……わかった。一緒に行くよ。お前の実家に……」 18723HITのカンナさんのリク作品の第一話をお届け致しました。今回はバッチリ橘家編です。ふふふ〜もうボケてないですよ! 「永遠の約束」と同じくお題は駆け落ちですが、こっちは少し軽めのテイストでいけたらいいなと思っています。 しょっぱなから「家政婦は見た!?」ならぬ、「照弘兄は見た!?」になってます。兄はどこでも苦労しますなぁ。次回は既にカミングアウト。照弘兄にはも〜少し苦悩してもらいます(笑) |