Written by とらこ  

  第三話


 その日の夜。橘家では居間に家族全員が顔を突きあわせて会議が開かれていた。目下の議題は勿論、突如として出現した三男坊の恋人のことである。『彼』という存在を受け入れ、二人の仲を認めるかどうかという話し合いのはずだったが……。
「絶対に反対です!」 
 強硬に言い募る母−−春枝に気圧されて、照弘と義弘はたじたじ。口を挟む隙もない。
「……お母さん。少し落ち着いて」
「私は充分落ち着いてますっ。……とにかく、私は認めません! このままでは義明さんだって不幸になってしまうに決まっています!」
 照弘と義弘は顔を見合わせてため息をつく。あんなに幸福そうな顔をした弟を見て、どうしてそんなことを考えつくのか……。
 仰木高耶という青年もなかなか好感の持てる印象を受けたし、二人の兄は認めてやりたい気持ちもないではなかったが、やはり悩んでしまう。世間ではやはり嫌悪されてしまうだろうし、露見したときに弟が背負うリスクは計り知れない。今の感情に先走った幸福よりも、弟の恒久的な幸せを考えるのなら、やはり母の言うことももっともだと思うのだ。
「いくら並の女性より綺麗だといっても男性は男性。義明さんはたぶらかされているんです!」
「…………」
 どちらかというと弟の方がたぶらかしたに決まっている。過去の行状を知っている兄二人は同時にそう思ったが、あえて口には出さない。
「ちょうどいい具合にご近所の奥様が持ってきてくださった良いお話があるんです。義明さんにはそちらのきちんとした女性とお見合いをしていただいて、是が非でも身を固めてもらいましょう」
「お母さん! それはやりすぎです!」
「そうですよ。無理矢理別れさせるなんて、大昔じゃあるまいし……。第一、あの義明が素直に言うことを聞くと思うんですか?」
 口々に言い募る兄弟を睥睨(へいげい)する。
「このままにしておくわけにはいきません! あなたたちは自分の弟が世間様に後ろ指さされてもいいというんですか!?」
「誰もそんなことは言っていないでしょう。……ただ、もう少し他の方法があると」
「他にどんな方法があるというんです? 照弘さん。言ってご覧なさい」
 きつい口調で詰問されて、答えに詰まってしまう。困った顔をすると、母はそれ見たことかと言わんばかりの表情で勝ち誇った。
「……二人とも、異存はありませんね」
「…………」
 二人が黙り込んでしまうと、春枝はいそいそと立ちあがって戸棚から見合い写真を取りだしてきた。
「照弘さん、義弘さん。あなたがたにも協力してもらいますからね」
 言い放ってから、電話の受話器を手に取る。近所の奥様とやらに連絡を入れて、早速段取りをつけるつもりらしい。
 二人はまたしても顔を見合わせて深い溜め息をつき、この会議の間ひとことも口を開かなかった父を見た。
 父が何か言って母を押し止めてくれるのを期待していたのだが……。深く考え込んだままで、ろくに話も聞いていない様子だった。
「……こうなってはしかたありませんね……」
 義弘が呟くのに、あわせて頷く。
「……そうだな」
 ふいに高耶の怯えたような表情が思い出された。拒絶され、こうなる事態をわかっていたから彼は怯えていたのだ。
 ちくりと胸が痛むのを感じながら、照弘は三度目の深い深い溜め息をついた……。


*  *


 次の日、直江は携帯電話の着信音で叩き起こされた。時計は朝の八時過ぎをさしている。早いとはいえない時間だが、せっかくの休日に起きるにしてはいささか早い。直江は憮然としながら携帯を手に取った。
「はい。橘です」
『義明さん? まだ起きてなかったんですか? なんです! だらしのない』
「……お母さん。こんな早くにどうしたんですか?」
『どうしたもこうしたもありません。用があるから電話したんですよ。起きて準備をしたら、十時までにうちにいらっしゃい。大事なお話があります』
 昨日のことだと言われなくてもわかった。どんな結論を出したにしろ、行かねばならない。
「わかりました。十時ですね。その頃に高耶さんとそちらに行きます」
『いいえ。あなたひとりでいらっしゃい。仰木さんでしたっけ? 彼は照弘さん達があちこち案内して差し上げますから』
 不審を覚えて直江は眉を顰める。一体何を考えているのか母を問いつめようとしたが、直江が口を開く前に春枝が言葉を続けた。
『いいですね。それじゃあ、待っていますから』
「え? お母さん? お母さん!」
 言いたいことを言って一方的に切れてしまった電話に叫んだが、もう遅い。無機質な電子音ばかりを返す携帯をため息混じりに切ると、眠そうな目をこすりながら腕の中から高耶が見上げてきた。
「……直江? どうしたんだ?」
「すみません。起こしてしまいましたね」
 謝りながら、高耶の唇に軽くキスを落とす。
「……電話?」
 母の不審な言葉に嫌な予感を覚えながらも、その言葉を高耶にも教えた。
「今日の十時までに私ひとりで家に来いと言ってきたんですよ。昨日の件だったら、二人で行こうと思ったんですが……」
 直江一人、と指定してきたことに不安を感じ、高耶は表情を曇らせる。やはり、直江の家族が出した結論は芳しいものではないのだろう。わかりきってはいたことだが、あえて目の前で言われるのは相当ショックだ。
「……そういうことなら、いいよ。直江ひとりで行って来てくれ。オレは適当にその辺で観光でもしてるからさ」
 高耶にしてみれば、逆にありがたいとも言える申し出かも知れない。目の前で直江と別れろと言われたら、絶望のあまり人前でみっともなく狼狽した挙げ句に、泣いてしまうかも知れなかったから。
「いいえ。兄さん達が高耶さんを案内してくれるそうですから」
 その言葉に高耶が眉を寄せる。
「照弘さん達が? どうして?」
「私もそれが不思議なんですよ。……なんだか、嫌な予感がするんです」
「……オレ、ひとりでいるからいいよ。照弘さん達に断ってくれないか?」
 高耶の言葉に直江も頷く。
「わかりました。……そうですね。そうしたら、具合が悪いとでも言ってここで待っていてくれますか? ひとりでは退屈かも知れませんが……」
 母の言葉は勿論、兄たちの動きが気になる。観光地を案内するという名目で、それとなく直江から引き離しておこうとしているように思われる。
(……まさかとは思うが……)
 直江はひとつの考えが頭に浮かんで、僅かに表情を歪めた。
 母の出方がわからない以上、迂闊に高耶を兄たちにつけて送り出すことはしたくない。あれこれと邪魔されて上手く連絡が取れなくなったら、逃げ出すこともできないからだ。
 考え込んでいる直江を見て、高耶は不安そうに瞳を揺らした。
「直江……」
 いつになく弱気な高耶を見て、宥めるように髪を梳いてやる。
「大丈夫ですよ。私は貴方の傍を離れたりしないから。すぐに戻りますから、東京に帰る準備をしておいてください」
「……いいのか? このまま帰っても」
「私が言うべき事は全部言いましたから。後は向こうの問題です」
 直江は割り切って言ったが、高耶にはその口調が冷たく感じられてならない。今まで直江を支え、愛してきた家族。その彼等に向かってそんな冷たい言葉を言わせているのが自分という存在ゆえなのだと思うとなんだかいたたまれなかった。それでも、反面で直江が誰よりも自分を大切に想ってくれていることを確認して、嬉しいと思ってしまう。そんな浅ましい自分を悟られたくなくて、高耶は深く俯いた。
「……ごめん」
 直江は沈み込む高耶をぎゅっと抱き締めて、何度も触れるだけのキスをした。その度にじんわりと体中に広がってゆく暖かさに安堵して、高耶は深く息をついた……。


*  *


 直江がホテルのロビーに姿を見せた時、時計の針は十時の少し手前頃をさしていた。ソファに座って二人を待っていた照弘と義弘は、高耶の姿がないことに首を傾げる。
「義明。……仰木君はどうしたんだ?」
「なんだか具合がよくないと言ってまだ眠っています。せっかく兄さん達があちこち案内してくれると言ってくれたのに、すみません」
 困ったように笑いながら言う弟の言葉を真に受けて、照弘は頷いた。
「そうか。残念だな」
 義弘はというと、あからさまに安心したような面持ちで胸を撫で下ろしている。直江は知らぬ顔をして二人の兄を促す。
「お母さんが待っているんでしょう? 行きましょうか」
 高耶がホテルを出ないのであれば、二人が殊更彼を見張っている必要もない。直江の言葉のままに頷き、自分たちが乗ってきた車に戻った。直江は自分のウィンダムに乗り込み、二台は連なって光厳寺へと向かった……。



 一方、橘家では母−−春枝にとっては今日のもうひとり主役ともいえる人物が既に来ていて、客間で春枝と向かい合ってお茶を飲んでいた。
 薄いピンク色の柔らかい色合いのワンピースに身を包んだ女性−−直江のお見合いの相手である。
 高耶には負けるがそこそこ美人だし、気だても優しく、温厚で、春枝は一目でこの女性が気に入ってしまった。すっかり三男坊の嫁に迎えるつもりになって、あれこれと話をしているうちに、外から車の音が聞こえた。
「やっと来たようですね。ちょっとお待ち下さいね」
「はい」
 女性は僅かに頬を赤らめて頷いた。無論のことながら、こちらは写真を見ただけで直江を気に入っている。春枝との会話も手伝って、すっかりその気になってしまっていた。直江に断られることなど、微塵も考えていない。
 春枝はぱたぱたと玄関へ向かい、三男坊を迎えにでたが、後ろについてきた照弘と義弘を見て声をあげる。
「照弘さん。仰木さんを案内してあげなさいと言ったでしょう?」
 照弘が答える前に、直江が口を開いた。
「高耶さんは具合が悪くてホテルで休んでいますので、せっかく気を遣っていただいたのにすみません。お母さん」
「あ、あらそう」
 高耶がよけいなちょっかいを出してくることを警戒して照弘と義弘に連れ出させようとしていたのだ。ついでにそれとなく義明と別れることを匂わせるように二人には言い含めておいたのだが、肩すかしをくわされたような形になってしまった。しかし、具合が悪くてホテルにいるということは動けないということなのだから、少なくとも邪魔されることはないのだ。そこで気を取り直して、春枝は三男坊に言った。
「さ、お入りなさい。義明さん」
 靴を脱いで中に入ろうとすると、玄関に揃えて置かれていた若い女性の靴を直江は視界の端に見た。姉はとうの昔に嫁いでいてここにはいないし、とすれば可能性はひとつしかない。
(……やっぱりか)
 母の出方がようやく見えて、直江はあからさまに眉を顰めた。二人の兄は先に家の中にあがり、母と共に客間へ向かおうとしていたが、足を止めて動こうとしない弟に気がついて振り返る。
「義明? どうした。早く来ないか」
「……呆れてものも言えませんね。無理矢理こんなことをしても、私の気持ちは変わりません」
「な、なんのことだ……?」
 いつになく低い、怒気さえ湛えた声色に我知らず声がうわずる。
(……やっぱり。なんだってこんなところに靴をおきっぱなしにしているんだ。お母さんは!)
 それがなければもう少し騙せたかも知れないものを。しかし、どちらにしても結果は同じだっただろう。
 見合いをさせるどころではない。一触即発の空気に義弘は声もない。
「もう来ている方には申し訳ありませんが、私にはそのつもりはありませんのでそう伝えてください」
 そう言い捨ててきびすを返そうとする直江の背中に春枝が叫んだ。
「義明さん!」
「お母さん。すぐには認めてもらえないとはわかっていましたが、こんなことをするなら私にも考えがあります」
「どうするっていうんですか!」
 悲鳴のような春枝の声に、直江は横目で睨むように顔だけを向けて言った。
「この家とは縁を切ります。他人なら、世間になんと言われても構わないでしょう」
 冷たく言い放つ弟の言葉に三人は愕然とした。春枝に至っては床の上にへたりこんでしまい、呆然と直江を見ている。直江は振り返りもせずに再びウィンダムに乗り込み、ホテルへと引き返した。
「……義明さん」
 春枝の呟きは開け放たれたままの玄関から吹き込む風にかき消された……。


*  *


 直江が出ていって二十分もした頃。言われたとおりにいつでもチェックアウトできるように荷物をまとめ、ぼんやりとテレビを見ていた高耶はふいに戻ってきた直江に驚いた。
「直江! 早かったんだな。もう話は終わったのか?」
 声をかけてから、直江の表情が妙に険しいことに気がついてはっとなる。
「直江……?」
 訝しげに首を傾げる高耶に、直江は苦笑をみせた。
「はい。もう話は終わりましたから、帰りましょう」
 そう言って二人分の荷物を持つ。
 直江の表情からやはりいい結果ではなかったことを悟った高耶はそれ以上は何も聞かなかった。無言で頷いて直江の後に従って歩き出す。ホテルの建物を出て駐車場に停めてあるウィンダムに乗り込み、出ようとしたところへ照弘の車が駆けつけてきた。蹴破るような勢いでドアを開け、こちらに駆け寄ってくる。
「義明! 待ちなさい!」
 照弘の声にも、直江はもはや耳を貸さない。
「直江!?」
 照弘を振りきるように車を発進させた直江に、高耶は顔色を変えた。
「どういうことだ!? 直江!」
「……家にいったら誰がいたと思いますか?」
「え……?」
 怒気をはらんだ声でいきなり問いかけられて、高耶はとっさに答えられない。
「母は私にお見合いをさせて貴方と別れさせようと目論んだようです」
「……っっ」
 高耶は息を飲んだが、予想がつかない展開でもない。親や家族にしてみれば当たり前だ。息子や、弟をまともな道に戻そうと必死になるだろう。
 だが、直江にはそれが不快だった。
 すぐに理解してもらおうとは思っていなかった。だが、理解するように努力はしてくれるかも知れない。それが自分の虫のいいひとりよがりであることを思い知った。
 無理に認めてもらわなくても、もう構わない。
 高耶と離れるくらいなら、こちらを切り捨てる。
 直江はそういう結論を導き出した。
「高耶さん。……私と、駆け落ちしましょうか」





 ぜいぜい。ようやく駆け落ちに雪崩れ込みました。三話連続で春枝さんや直江にいいように振り回されている橘兄弟……可哀想。
 なんだか、私はお見合い話が好き? 「HEART OF SWORD」もだし、「永遠〜」もだしな〜。マンネリ?(やば……っっ!)
 次回はちょこっとシリアステイスト。ヒスってた春枝さんが倒れてないことを祈ります……(汗)



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