Written by とらこ  

  第四話


 ホテルの前で直江に完全に無視された照弘は慌てて車に戻り、後を追った。しかし、時既に遅く、弟の車は視界から消え去ってしまっていた。当てもなく車を走らせて捜してみたが、勿論発見できるはずもなく、結局手ぶらで家に戻るしかなかった。
 午後の三時頃。自宅に戻ると春枝が家から飛び出してきたが、義明の車も本人の姿もないことにがっくりと肩を落とした。
「照弘さん……」
「すみません。ホテルの前で見つけたんですが……」
「そうですか……」
 今にも倒れそうな灰のように白い顔色の母の肩を抱いて、家の中に戻る。居間には難しい顔をした義弘と父が座っていた。
「兄さん……。やっぱり無理でしたか」
「ああ。直前で逃げられた。……携帯電話の方はどうだ?」
「繋がると思うんですか?」
 義弘は首を横に振る。電源を切っているのか、一向に繋がらない。
(当然か……。義明のあんな冷たい目は初めてだ)
 普段は家族思いで優しい弟だが、ことに高耶が絡むと今まで見せたこともないような表情をする。恋人を気遣う優しい、幸福そうな顔。高耶のためには家族さえ切り捨てる非情さを持った顔。最初は驚いたが、それは義明が本来持っていた表情なのだと思う。
 自分のすべてをかけて愛する人間。それが義明にとっては高耶という青年だっただけ。
 ただ、それだけのことなのだ。
 それを正しいか間違っているかなんて、誰にも決めることはできない。ましてや、横から口を挟んでどうこうしようなんて、義明には我慢がならなかったのだろう。
「……照弘さん。……どうして、どうしてこんなことに……」
「お母さん……」
「私は、義明さんのためによかれと思って……」
「しかし、実際には義明のためではなかったかもしれん」
 照弘の代わりに口を開いたのは、今の今まで黙り込んでいた父だった。義明が高耶を連れてきてから、最初こそ驚いていたものの、ずっと何事かを考え込んでいたのだ。
「お父さん?」
「世間体がどうのと言う前に、我々だけでも義明を理解しようと務めるのが、本当の家族というものじゃないのか? 義明も、心を決めて彼を紹介してくれたからには、そういう理解ができると我々を信じていてくれたからじゃないのか? それをああいう形で裏切られ、仰木君を傷つけるような真似をした我々に義明が怒るのは当然のことだと私は思うよ」
「……お父さん」
 父の言葉に、照弘と義弘は黙り込んだ。すんなりと自分の中にとけ込んでゆく言葉に、抱えていたモヤモヤした罪悪感の理由をようやく知った気がした。
 春枝の「義明の幸福のために」という言葉に引きずられるようにして協力していたが、何のことはない。裏を返せば「義明自身」のためではなく、「義明を取り巻く自分たち」のことを考えていたに過ぎなかった。
 弟の顔を見れば、彼にとって何が最も幸福なことなのか、わかりきっていたはずなのに……。
 今更のようにこみ上げてくる苦い後悔に、照弘は表情を歪めた。
「……義明の気持ちと、仰木君という若者を受け入れよう。私たちが心を開いて理解する努力をするのが一番いい解決の方法だと私は思うよ。……なぁに。世間なんていうものは、自分で思っているよりも無関心なものだ。万が一露見したとしても、我々が二人を守ってやればいいじゃないか」
「お父さん……!」
 我慢しきれずに叫んだのは春枝だった。しかし、二の句を告げる前に照弘は母を片手で制して首を横に振った。
「お母さんだって、もうわかったでしょう。普通に結婚をして家庭を作ることが義明にとっての幸せではないと」
「……でも」
「春枝。義明の幸せはあの青年と一緒にいることなのだ。……それに、私にはあの仰木君という青年がお前の言うように義明を誑かした悪い人間には見えなかったよ」
「……それは」
 そう言われて改めて思い出してみれば、あの仰木高耶という青年には決して悪い印象は受けなかった。ただ、息子の突然の告白がショックで、そんなことは気にしている暇もなかったのだ。
 今更のように、綺麗な目をした青年の少し怯えたような表情がありありと思い出されて、春枝はがっくりと項垂れた。
「……わかりました。お父さんの言われる通りにしましょう……」
 力の抜けた春枝の言葉に、父は笑って言った。
「そんなに心配することはない。……それよりもあの義明が、男であれ女であれ、きちんと人を愛せる人間になってくれてよかったと思うよ」


*  *


「……こんなトコまで来て……。どうするんだよ、これから……」
 途方に暮れた目をして、高耶は自分を抱き締めている男を見上げた。
 ここは、北海道の札幌市内にあるホテルの一室である。
 あれから本来帰るはずの東京都は全くの反対方向へと車を走らせた直江は東北道を北上し、青森からフェリーで海を渡った。そして札幌に入って二日。二人はホテルの部屋に籠もったまま一歩も外に出ていなかった。移動のしっぱなしで疲れ切っていた高耶はホテルに入ったらとりあえずシャワーを浴びてゆっくりと眠りたかったのだが、直江がそれを許さず、部屋に入るなりベットに押し倒されて今に至る。
 直江が穏やかな表情の下でかなり怒っていることはわかっていたが、肌を重ねてみればその深さがより敏感に感じとれて、高耶は何も言えないままに翻弄された。何度も躰を開かれ、為すがままに揺さぶられ続け、ようやく嵐が過ぎ去った後のような沈黙の中で、恐る恐る問いかけた。
 こんな勝手なこと、許されるはずがない。きっと直江の家族は心配しているに違いない。そう思うと胸が痛んだ。
 そんな高耶の胸中を知ってか知らずか、直江は眉を上げて言った。
「このままこの土地で二人で暮らすっていうのはどうですか?」
 口元が僅かに笑っていなければ、高耶は本気にして受け取っていただろう。そんな冗談とも本気ともつかない言葉に目元をきつくして睨めつける。
「直江!」
「私は本当にそうしてもいいと思っているんですがねぇ。……貴方と一緒にいられるのなら、地獄の底だって私には天国だ」
「……ばかやろう」
 高耶は小声で呟いて、直江の胸に顔を埋めた。
 それは自分も同じことだ。直江が傍にいてくれさえすれば、どこにいようと幸福でいられる。
(……でも、駄目だ)
 直江は高耶を宥めるように髪を梳いてやりながら言った。
「……すみません。私の家族や、色々なことを考えてしまう貴方が苦しむのはわかっていたんですが……。どうしても我慢できなかったんです」
 すぐには認められなくても、そうするために理解しようと努めてくれる家族だと、過大評価していたことを思い知った。
 そればかりか、底の浅い、すべてが見え透いた手口で高耶と引き離そうとしたことも、感情が先走った言葉で彼を傷つけるようなことを言ったことも、直江には許せなかった。
 どんなにつらい時でも、見捨てずに自分を見守っていてくれた家族だからこそ、信頼していたというのに……。
 正直、裏切られたような気さえしていた。
「……お前は馬鹿だ。……オレなんかのために……」
「何と言われようと私は貴方と別れるつもりはないと実行してみせただけです。……でも、あくまで向こうが態度を崩さなければ……」
 このまま駆け落ちして、どこまでも逃げる。
 皆まで言わずとも伝わる男の本気に、高耶は気圧されるように押し黙った。
 本気ですべてを捨て去れる強さを持つ直江が少し怖かった。それは、自分も同じだと言えないのが後ろめたいせいかも知れない。直江を愛している気持ちは、言葉などでは言い表せないくらい強いけれど、高耶は自分の周囲にいる者をどうしても気にかけて、振り返ってしまうから……。
「……高耶さん?」
 深く考え込んでしまった高耶を怪訝に思った男の声が、現実へと引き戻す。と、同時にすい、と顎に手をかけて顔を持ち上げられて視線が交わる。瞳の色から高耶の不安を読みとった直江はくすりと小さく笑った。
「貴方が不安に思うことなんて、何もありません。そんなに深く考えずに、ちょっとした旅行だと思っていればいいんですよ」
「……直江! ……ったく。お前って奴は……」
 どこまでも強気に笑ってみせる直江を見ていると、色々考えていることが馬鹿らしくなってしまう。呆れた高耶は小さく苦笑した。
 こうなってしまった以上、ここで何を考えてもしかたがないと思う。
(……とりあえず、今は直江にまかせよう……)
 ようやく心を決めた高耶だった……。





 北海道まで行っちゃいました。寒いのに〜〜。あ、でも二人は四六時中くっついてるから暖かいか(爆)
 こないだ某番組を見ていて「北海道行きたいな〜」と思った気持ちがそのまま出ちゃったみたいです。蟹食べたい。蟹。直江のことだから、きっと極上の高い蟹を高耶さんに食べさせているに違いない! 直江〜〜。私にも蟹を食わせてくれ〜〜(馬鹿)
 次回で最終回……にできればいいな〜〜と思いつつ、予定は未定ということで。



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