朱い月の檻
Written by とらこ
第四話 場所を高耶の住んでいた部屋に移して時が経つのも忘れて話し込んでいた二人は、外の方から聞こえてきた騒がしい声にふと気を引かれた。 「……なんだ?」 数人の男が怒鳴りあう声。どうやら喧嘩が始まったらしい。 「あーあ。またかよ」 「また?」 「この辺、あんま治安よくないからあんな喧嘩なんか日常茶飯事でさ。……ったく。しょーがねーよな」 呆れて窓から外を覗き込んだ高耶の表情がさっと緊迫したものになる。 「高耶さん?」 「……なんかヤバそうな雰囲気。両方ともサバイバルナイフ持ってやがる」 その言葉に直江も表情を曇らせる。 両方とも武器を持っているとなると、ただでは済まないだろう。下手をすれば殺人事件に発展しかねない。 傍を離れるのは不安だったが、あやしい人物も見あたらないし、ほんのわずかの時間ならいいだろうと思い、高耶を見る。 「貴方の傍を離れるのは不安ですが、放ってもおけませんね。すぐに戻りますから、ここにじっとしていて下さい」 「……大丈夫か?」 小なりとはいえ武器を持った上に、すっかり頭に血が昇った連中の中へ行くのだ。直江のことが心配で高耶は表情を翳らせる。 「大丈夫。私にはコレがありますからね」 そう言って指さしたスーツの内側には黒い銃があった。 「高耶さんの方こそ、万が一のことがあるかも知れませんから、ちゃんと隠れていてくださいね」 「わかってる」 深く頷く高耶を室内に残して直江は外に出た。サバイバルナイフを構えて互いに睨み合っている二人を囲むように四、五人が囃し立てていたが、ふいに闖入してきた直江を見て鋭く睨みつける。 「……んだよ、オッサン。何か用かよ」 「これでも一応刑事なんでね。人死にが出そうなのを放って置くわけにもいかない。−−さぁ、そんな物騒なものはしまって補導されないうちに帰るんだな」 黒い手帳を突き出して、一応穏やかに言ってみるが、無論連中が聞く耳を持つはずもない。刑事という言葉に僅かに動揺しながらも吐き捨てるように叫び散らす。 「ふん、偉い刑事さんがオレらに説教たれんのかよ。そーいうのをよけいなお世話っつうんだよ!」 「怪我しねーうちに消えな!」 周囲にいた連中が直江に絡みだし、喧嘩をしていた二人もようやくこちらを向いた。二人で目配せをしあい、ナイフを持ったまま顔を向ける様子がどこか不自然で、直江は違和感を覚えて眉を顰めた。互いを罵りあう声色や態度は喧嘩腰だが、目の色だけが冷めているのが気になる。 (……まさか、な) そう思いながらも気になってちらりと後ろを盗み見、高耶のいる部屋の窓を見た瞬間、直江は驚愕に双眸を見開いた。 「……なお……っ」 窓際で数人の男達と揉み合いながら直江の名を呼ぼうとする高耶。だが、抵抗も空しくあっという間に押さえ込まれ、引きずられるように姿が見えなくなってしまった。 「高耶さん!」 慌てて駆け戻ろうとしたが、それを遮るように先程まで喧嘩を煽っていた少年達が直江を取り囲む。 「どけ!」 「……いやだね。あんた、刑事なんだって? なんであいつと一緒にいたんだ? あいつ、何か言ってた?」 人にものを尋ねる、というよりは横柄に尋問する口調でリーダー格の少年が口を開いた。彼は先程までもうひとりの少年を相手に喧嘩をしていたのだが、やはり芝居だったのだ。 −−高耶の傍から直江を引き離すための。 「そこをどけと言っている!」 「できねーってさっきから言ってんだろーが。あんたにはここでしばらくの間オレ達と遊んでてもらうぜ」 手にしたナイフの切っ先を今度は直江の方に向けて躍りかかる。紙一重でそれをかわしながら、懐から拳銃を取り出して構える。 「……っ!」 「ナイフを捨てろ」 遙かに強力な力を持つ武器に、一瞬連中の動きが止まる。しかし、リーダー格の少年はすぐに鼻でせせら笑った。 「ふん。んな見え透いた脅しに乗るかよ。今時の警察にハジキ撃つ度胸なんてねーくせに」 「……そう思うか?」 瞬間、夜の静けさを揺るがす轟音が周囲に響き渡り、銃口から発射された弾丸が少年の頬を掠めて奥の壁に吸い込まれた。 「次は腕だ」 刑事としてのモラルも何もかも、今の直江には欠片も存在していない。ただ、高耶を救いたいと願う心が体を突き動かしていた。 鬼気迫る迫力に、大抵のことには後込みしない連中も息を飲んで顔色を失っている。 「……もう一度だけ言う。……そこをどけ」 僅かの間、連中の足はその場に凍りついたように動けなかった。が、直江に促されるままに誰からともなく退いて道を開ける。 油断なく目線を走らせながら囲みをすり抜けざまにリーダー格の少年の服の襟首を掴んでいきなり路上に引き倒した。 「……ってぇ! 何しやが……っ」 いきなりのことに声を荒げるが、冷たい銃口を額に突きつけられて短く息を飲んだ。 「大事なことを聞き忘れるところだったよ。……お前達、高耶さんをどこに連れて行った? ……誰の処へ?」 少年の顔色がさっと青ざめる。それだけは口にするまいと固く口を引き結んでいたが、何をするかわからない危険をはらんだ直江への恐怖に屈したのはすぐのことだった。 「……この先の廃ビルの地下だ。そこに仰木はいるはずだ。……でも」 「……でも?」 「……きっともう遅い。仰木は、殺されちまってるかもな」 「な、んだとッ!?」 どういうことなのか問い正したいところだったが、少年の言葉からしてあまり時間が残されていないことを察した直江は苛立って舌打ちした。 と、その時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。直江が発砲した銃声を聞きつけて、この辺りの住人が通報したのだろう。あっという間に近づいてくる音に連中は慌てふためき、まるで蜘蛛の子を散らすようにちりぢりに逃げ出した。直江が捕らえていた少年もとっさに逃げだそうとしたが、逆にがっちり胸ぐらを掴まれてしまった。 「離せよ!」 「そうはいかない。お前は大事な証人だからな」 言いながら鳩尾に深々と拳を叩きつける。声もなく崩れ落ちた身体を電柱に寄りかからせるように置いたところで、ばたばたと忙しない足音が駆け寄ってくる。 「直江!?」 開口一番にそう言って姿を見せたのは鮎川だった。 「お前の車があったから、もしやと思ったんだ。一体何があったんだ? この少年は?」 「詳しく説明している暇はない。この少年はお前に預ける。今回の連続殺人の証人だ」 「なにっ!」 目を見開いて少年を見つめ、それから直江に向き直った鮎川は詳しいことを尋ねようとしたが、時既に遅し。直江の姿はそこにはなく、路地の奥へ背中が消えていくのが見えた。 「直江! どこに行くんだ、おい!」 ただならぬ様子に危険を感じた鮎川は自分も後を追うべく駆けだしたが、 「ああっと。おい! そこに転がってる小僧の身柄を確保しとけ。殺人事件の大事な証人なんだからな!」 「は、はい!」 しっかり部下をどやしつけてから身を翻して直江の後を追いかける。 (……直江。一体どうしちまったんだ) この一週間ほどどこか様子がおかしいとは感じていたが、こんならしくない暴走をするとは思ってもみなかった。 一体何が、あの冷静すぎる友人を変えてしまったのだろうか? とても嫌な予感がする。 (……何事もなきゃいいんだがな) −−しかし、本人の願いも空しく、その予感は見事に的中することになる……。 * *
どさり、と固い床の上に身体を投げ出された衝撃で高耶は眼を覚ました。 「……う……」 一体自分に何が起こったのか、一瞬思い出せなかったが、身体を起こそうとした瞬間に鳩尾の辺りに走った鈍い痛みが記憶を引き戻す。 (……そうだ! オレ……) あの時、直江が外に出ていってすぐにいきなり踏み込んできた連中につかまってしまったのだ。必死に抵抗したが、いかんせん多勢に無勢。あっという間に取り押さえられて、鳩尾をしたたかに殴られて意識を失ってしまったのだ。 (……ここ、どこだ?) アパートの部屋でないことは確かだ。周囲を囲むのはコンクリートの冷たい壁とごみ屑の山。何かが腐ったような饐えた匂いが鼻について、高耶は顔を歪めた。 「……目が覚めたようだな」 暗い愉悦に歪んだ声。瞬間、肌がざわりと粟立つ悪寒が身体を駆け抜け、本能的な恐怖に全身がわなわなと震え出す。 (…この、声は……ッ!) 「……待ってたぞ。オレの哀れなマリオネット……」 悪夢の中にしかいないはずの存在。 −−赤い髪の狂人が、目の前で嗤っていた。 |